たとえば、私の仲間が「こいつは空腹だから食事を食べさせる必要があるな」と思うとき、私は空腹を感じる。仲間が「こいつは空腹だから食事を食べさせる必要があるな」と思うことを感じ取ることが、自分が空腹であると感じるということになっています。つまり仲間がそう思うであろうということが、私が空腹であるという感覚のもとになっています。
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たとえば、私の仲間が「こいつは空腹だから食事を食べさせる必要があるな」と思うとき、私は空腹を感じる。仲間が「こいつは空腹だから食事を食べさせる必要があるな」と思うことを感じ取ることが、自分が空腹であると感じるということになっています。つまり仲間がそう思うであろうということが、私が空腹であるという感覚のもとになっています。
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私たち人間は(拙稿の見解では)互いに人と語り合うために言葉を使う。互いに人と共感し動作を協調させるために物事を感じ取ります。身体の外見についても身体の内部状態についても仲間と運動を共鳴させることで、そのありようを理解します。そうであるとすれば、自分自身の身体の内部についても、仲間がそれをどう予測してこれからの動作を行えば良いのかに関わるように私自身が分かる。逆に言えば、そのように分かるものが私自身の内部である、といえます。
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このように私たちは自分の身体の内部はよく分かりません。それなのに私たちは自分の身体の内部をよく分かっていると思っています。特に、自分の気持ちは自分が一番よく知っていると思っている(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか?」)。それはなぜなのか?
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しかし私自身から見れば私の身体の内部は見えない。想像できるだけです。感覚では感知できない。つねったりすると痛いと感じるけれども、どこがどうなって痛いのかもさっぱり分からない。MRIで撮影すれば器官の断面のようなものが見えるけれども、他人の身体のMRIと同じようなものにしか見えない。直感でこれが私の身体だ、と感じることはできません。
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私の皮膚の下につまっているものはダークマターである。暗黒の虚無である。他人の身体の内部ならば私にはよくわかる。筋肉や血管や内蔵や神経がつまっている。それらはタンパク質の分子が規則正しく結合したものです。それらの分子は水素や炭素や酸素や窒素などそこら中にあるありふれた原子が組み合わされたものです。他人から見れば、私の身体の内部もまったく同じようなものであることが分かるでしょう。
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