哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自分は虚像

2011年12月31日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Diego_velazquez_las_meninas 画家は、国王の光栄ある要請を受けて仕事をしている自分を自分の目で見ています。このとき画家にとって現実の空間は、自分の目に映っている国王夫妻とその背景の空間ではなくて、自分の身体が置かれている自分の少し前から後方の空間であったはずです。国王夫妻の視点から見た空間が実像として描かれている反面、画家の視線が見ているはずの国王夫妻の立つ空間は後方の小さな鏡に映る虚像として描きこまれています。

私たちはふつう自分の姿を実像としては見ることができません。ところがこの絵では、自分の姿が実像となっている空間が描かれています。

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自画像

2011年12月30日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

スペイン国王の目は、当然、愛娘マルガリータに注がれている。そのことから、画面中央に位置する幼い姫の姿は窓からの光線でさらに目立つように明るく照らされています。画家は左端でカンバスに向かっている。右利きの画家はふつうカンバスを自分の右に置きますから、モデルからみるとカンバス裏側の右側から顔を出す。それで必然的に画家はこの画面の左に位置することになります。

そういうことを全部計算しながら、画家は、肖像画を描いている自分の肖像画を描いた。宮廷画家の仕事であるからには当然、この絵は国王を賛美し王位継承者であるマルガリータ姫の肖像を人々に賞賛させるために描かれたものでしょう。しかし素直に考えて、画家はこの機会に自分をアピールしたかったという動機を持っていたと推測できます。

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ベラスケス

2011年12月29日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Margerita 絵の内容については、美術史家のさまざまな学説がありますが、大方の解釈は、国王夫妻の肖像画を描く画家本人とアトリエを訪問した王女を描いた絵ということになっています。画面中央に王女マルガリータ、画面左にベラスケス自身が描かれています。この絵の特徴は、もちろん世界最高傑作といわれる画面の完成度、そして微妙な光線と質感を表現する画家の卓越した技術ですが、同時にまた視点の面白さがあります。この絵に描かれた光景は、画家がいま描いている肖像画の対象人物、つまり国王の視点から見たものとなっています。

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スペインの王女

2011年12月28日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

空間を人と共有する手段としては、言葉のほかに絵を描いて見せる、という方法がよく使われます。絵は描き手が手を動かして見たものを平面に写すことと思われていますが、これもまた人間が身体を使って人と空間を共有する行為でしょう。絵画を見る人には、それを描いた人の視線の動きと、それによる空間の捉え方が伝わります。

絵画に描かれる空間を見てみましょう。

十七世紀スペインの王女マルガリータと取り巻きの人々を描いたベラスケスの有名な名画(1656年 ディエゴ・ベラスケス『メニーナス』)があります。

拝読ブログ:スペイン国王家とウルダンガリン氏<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock></shapetype><shape id="図_x0020_1" alt="説明: Comments" type="#_x0000_t75" o:spid="_x0000_i1025" style="WIDTH: 12pt; HEIGHT: 12pt; VISIBILITY: visible; mso-wrap-style: square"><imagedata o:title="Comments" src="file:///C:DOCUME~1ADMINI~1LOCALS~1Tempmsohtmlclip11clip_image001.gif"></imagedata></shape>

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自分の動き

2011年12月27日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Khnopff_d5219995l ここまで具体的に語ると空間がよく分かります。逆にこのくらい詳しく語らないとよく分かりません。歩いている人が進みながら目に見える光景を話しています。話し手の運動がよく分かります。空間を語ることは話し手が自分の動きを語ることでもある、といえます。

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