哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

生きるという特殊なシステム

2012年06月12日 | xx9 生きるという生き方

Waterhouse2circ このように、私たちが当たり前と思っている、現実世界の中を生きる人間の生き方というものは、人類特有の進化現象の結果としてできあがった特殊なシステムである、という見方ができます。いずれにせよ、私たち人間は、だれもがこの現実世界を生きるという生き方をしているのが事実であって、(赤ちゃんや認知症の老人を除いては)そういう生き方しかできないということもまた事実です。

(29 生きるという生き方 end

拝読ブログ:(続)「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」: オランダにおける流通・金融システムの洗練とイギリスにおける近代型財政の構築: muse-A-muse 2nd

拝読ブログ:kaosu's blog

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システムとしての人類

2012年06月11日 | xx9 生きるという生き方

そうはいっても、私たちはつい、「私って何?」という疑問を口にしてしまいます。それは仕方のないことなのです。私たちの身体はそうなるように作られているのですから。

私たち人間は(拙稿の見解によれば)仲間との共鳴によってこの現実を作りだし、それを共有し、その変化を予測することでその現実の中に人が生きていると思い、自分が生きていると思う。そのように(現実を共有)することによって生存効率の高い緊密な社会を維持し、高密度の人口を維持している。そういうシステムとして人類は進化した、といえます。

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哲学は偽問題

2012年06月10日 | xx9 生きるという生き方

Waterhouse1mermaid このように考えてくると、結局、「私って何?」という疑問を持つことは間違いです。つまり哲学、とくに形而上学の問題は、実は問題ではないのに問題であるかのように見える、いわば偽問題である、といえます。私たち人間は(拙稿の見解によれば)自分たちの身体が作り出す現実世界といういわばバーチャルな環境を身にまとって生きています。いわゆる哲学的問題は、その現実世界を自分たちの身体と関係なく実在すると思い込んでしまうために出てくる偽問題です。

拝読ブログ:スティーブン・ピンカー「言語戦争のニセ戦線」(part 2/3) - left over junk

拝読ブログ:清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(3): CZTのブログ

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外部と内部は存在するか?

2012年06月09日 | xx9 生きるという生き方

特に、宗教や哲学の理論はどれもかなり恣意的になっています。身体感覚にもとづく目の前の現実のもっともらしさに比べると、これらの理論は納得しにくいところが多いと思われます。

現実世界のほかの別世界の存在を語る理論は(拙稿の見解によれば)どれも間違いというべきでしょう((拙稿第1部 哲学はなぜ間違うのか?))。拙稿の見解では、私の内部と外部などない(拙稿19章「私はここにいる )。この現実世界は私の内部でも外部でもない。現実世界がこのようにあるかのように私の身体が感じ取り、その現実世界の中に私がいるかのように私の身体が感じ取り、その私の外部に現実世界があり内部にそれとは別に私の内部があるかのように私の身体が感じ取ることは間違いありませんが、それら(現実世界、私自身、私の外部と内部)が存在する、といえる理由はありません。私たちの身体の構造がそう感じ取るようになっている、というだけでしょう。

拝読ブログ:nix in desertis:「埋もれた名作」という言葉について

拝読ブログ:小林秀雄「読者-考えるヒント」: うみねこ堂一丁目

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私の外部と内部

2012年06月08日 | xx9 生きるという生き方

Thisbe__john_william_waterhouse そこで、この現実世界のほかにも別の世界がありそうだ、とか、この現実世界は私の外部であって私の内部には他の何かがある、とかいう思いがでてきます(拙稿23章「人類最大の謎」 )。実際、それら現実世界のほかの世界、精神世界、独我論、あの世、死後の世界などは、古来の宗教、哲学によってそれぞれの理論として提唱されています。

しかし私たちの身体感覚にもとづく現実世界を説明する理論としては、科学や世間常識以外の理論は、恣意的に感じられる度合が大きすぎて、誰もが納得するものになっていません。

拝読ブログ:言葉の問題と言う事(7) 思考への道/ウェブリブログ

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