人生の目的といい、幸福といい、もともと言葉で表されるものではない。私たちがばくぜんと抱く期待、明日への夢がその実体です。その夢は、言葉ではなく、無意識の感情に根ざしている。生存と繁殖に適応するように進化した感情機構は無意識のうちに身体を動かしていく(一九九一年 リチャード・ラザルス『感情と適応』)。幸福は、それが言葉になる前に、身体がその意味を知っている。その動きを見て、私たちは、それが自分の目的だと思い、言葉にしてみる。逆にいえば、身体がそれに向かって動いているその夢が実現することを、幸福という。
私たちは実際、目的との距離を測りながら冷静な計算で動くゲーマーというよりも、どちらかといえば、明日にくる幸福をばくぜんと思い描き、夢を追って生きているドリーマーなのでしょう。
筆者の夢ですか?
まあ、年もとったし、たいていの夢はかなってしまった。でも、今も、もちろん夢はある。
ハワイの海岸でビーチチェアを二つ借りて、妻と並んで青い波を眺めることです。そのとき通りかかった観光客(たぶん年配の日本人)にデジタルカメラを渡して写真を撮ってもらうでしょう。デジタルメモリに保存するだけではすぐ忘れてしまうでしょうから、「夢 X年X月X日」と文字入れしてプリントし、机の上の小さな写真立てに飾ろうと思っています。
(17 私はなぜ幸福になれるのか? end)
(第三部 私はなぜ死ぬのか? end)
(次回から 第四部 私と世界とのいかがわしい関係)
(次回から 18 私はなぜ言葉が分かるのか?)
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