レストランで紅茶をすする場面では、紅茶をすすった直後に息を吐いています。それは記憶していないけれども、息を吐いているはずです。息を吐きながら、「はあ」とか声が出たかもしれない。しかし、それも覚えていない。バースデーケーキのキャンドルを吹き消す場面では、息を吐く直前に息を吸っているはずですが、それは覚えていない。鼻の穴をひろげて、「すうう」とか音が出たに違いない。それでも記憶にありません。
自分の意識的な行動に関する私たちの記憶は、このように恣意的で断片的です。便宜主義的といってよい。自分の行動を予測してうまくやりたいと思うことだけを記憶する。うまくしなければいけない、と気にしている行為だけを記憶する。その行為がうまくできたか失敗したかの自己評価をコンテキストとともに記憶する。そういうしかたで、私たちはそのコンテキストにおいてはそのような身体の動かし方がうまくいくことを学習する。そうして次回に役立てると便利なことだけを記憶する。自分がそれに習熟して上手になるとうれしいとか、得をするとか、便利だとかと思われる運動だけを予測し学習し記憶する。私たちは、はなはだ、ご都合主義的であり、便宜主義的であります。
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