哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

身体との相対サイズ

2011年10月31日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

身体との相対サイズ

ある空間に対して、私たちが身体で無意識のうちに反応する場合、この家くらいの大きさ、つまり私たちの身長の数倍くらいの大きさのものならば、それに対しては身体全体を動かしてみる。まあ、三十階建てのビルくらいでも、その大きさは体感で想像できます。一方、その空間が小さくて指の大きさくらい、つまり数センチメートルの大きさならば、指先でなぞったり、ひっくり返したりする。

このように、空間の大きさが私たちの身体の数十倍から数十分の一くらいの範囲内ならば、私たちは直感でその大きさが分かるし、その形や構造も体感で感じ取れます。ところが、空間が身体に比べて非常に大きい(地球とか銀河とか)か、非常に小さい(細胞とか分子とか)空間は、そういう身体運動をうまく当てはめることがむずかしいので、私たちはそういうものを想像することが苦手です。

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空間の概念を作る

2011年10月30日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Fernand_khnopff30 たとえば「家は小さかった。家には壁が四つと床と屋根があって一部屋になっていた。」という言葉を聞いた瞬間、私たちの身体はその空間を想像できます。私たちは、聞いただけで想像したその家を外から、あるいは中から、見まわしたり、触れて歩いたり、あるいは空間に立体的な線画を描いたりする運動を頭の中で準備(拙稿の用語では仮想運動という)しています。つまり無意識のうちに自分の身体がその空間に働きかける、あるいはその空間の中を動き回る場面を想像しています。この仮想運動によって

(拙稿の見解では)私たちは空間の概念を作っている、といえます。

拝読ブログ:モノイドだけで作る幾何空間 復習編<shapetype id="_x0000_t75" coordsize="21600,21600" o:spt="75" o:preferrelative="t" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" filled="f" stroked="f"></shapetype> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:extrusionok="f" gradientshapeok="t" o:connecttype="rect"></path><lock v:ext="edit" aspectratio="t"></lock><shape id="図_x0020_1" o:spid="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" alt="説明: Comments" style="WIDTH: 12pt; HEIGHT: 12pt; VISIBILITY: visible; mso-wrap-style: square"></shape><imagedata src="file:///C:DOCUME~1ADMINI~1LOCALS~1Tempmsohtmlclip11clip_image001.gif" o:title="Comments"></imagedata>

拝読ブログ:「共」と「個」

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コンピュータvs.直感

2011年10月29日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

この家の間口、奥行き、高さ、家具の配置など幾何学的データをコンピュータに入力すれば、立体図や3次元透視図などいろいろな図面を正確に描いてくれます。また体積などもすぐに算出してくれます。しかし、コンピュータはこの家の空間概念は感知できません。家の形や大きさ、位置など私たちが直感で感じ取れる空間概念は (拙稿の見解では)、私たちの身体運動の感覚から来ているからです。文章による描写を読んで瞬時に私たちが感じるような空間概念を感知するためには、人間の身体を持って、人間と同じ運動能力を持ち、さらに運動経路を積分する、人間が持つような神経機構を持っている必要があるといえます。

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物語の空間描写

2011年10月28日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Godwardvenus たとえば、アメリカのど真ん中、カンザス州の大草原にある一軒家の描写:

「彼らの家は小さかった。それというのも、家を建てる材木は遠くから馬車で運んでくるしかなかったから。家には壁が四つと床と屋根があって一部屋になっていた。その部屋には錆びたようなストーブと皿を入れる食器棚とテーブルと三つ四つの椅子とベッドがあった。ヘンリーおじさんとエムおばさんが片隅にある大きなベッド、そしてドロシーが別の隅にある小さなベッドを使っていた」(一九〇〇年 ライマン・
フランク・ボーム『
オズの魔法使い 』訳文筆者)

この文章を読んで私たちは、どういう空間について述べられているのか、直感で分かります。こういうことが分かるということは、私たちが言語を使って空間概念を共有しているからです。

拝読ブログ:「WiCKED

拝読ブログ:オズの魔法使い

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言語による空間の固定

2011年10月27日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

このように空間というものはその中を動き回る経験を蓄積し積算して作られていくものです。動物は無意識のうちにこの地図つくりのような測量と積算を繰り返して記憶し空間を把握します。

私たち人類も身体を動かして移動することによって生成されるユークリッド空間構造を(読者が今身体の周りに感じておられるような)現実の空間として身体感覚で感知しています。人間はだれもが (拙稿の見解では)空間を感じ取るその感覚を運動共鳴によって仲間と共有しています。人類はさらに、その共有する空間感覚を言葉で語り合うことで、空間についての知識を固定することができます。

拝読ブログ:

言語行為の現象学 その1

拝読ブログ:空間と存在のシンパシー①  ― 私たちに必要な空間とはなにか ―

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