哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

半群⇔仮想運動

2008年06月28日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_jerome

言語は、有限な音節を直列に連結して作られる。たとえば日本語は五十くらいの音節の並び方で表現される。「あだだ」とか、「あいあかう」とか、語はいくらでも作れる。いくつかの語をつなげると、また語になる。たとえば、「あだだあいあかう」も語です。末尾に「。」をつけた語は文と呼ばれる。「あだだあいあかう。」は文です。

数学で半群と呼ばれるこの構造は、実質上、無限の語や文を作り出せる。自然界のDNAも、コンピュータのプログラムも半群の構造を持っています。少数の記号を一列に並べて無限の表現を作り出すには、この半群構造が便利だからでしょう。自然言語も、コンピュータのプログラム言語も、DNA配列の遺伝情報も、記号列を操作に対応させる。つまり、ある記号列が読み取られると、それに特有な機械的操作が起こる。昔のオルゴールや、自動工作機械の制御テープも、こうなっています。DNAの記号列は、細胞で製造されるたんぱく質の種類を指定する。

人間の言語では、(拙稿の見解では)語や文は、脳内シミュレーションによる仮想運動の種類を指定する。コンピュータプログラムでは、記号列は、論理回路が行う演算の種類を指定する。ただし、DNA配列と違って人間の語やコンピュータプログラムは、記号列と行為との対応関係が恣意的です(一九一三年 フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』)。つまり最初は、その言語の設計者が、記号列と行為との対応関係を勝手に決めてかまわない。

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