哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

外国語はスポーツ?

2008年06月26日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_fortune_teller

外国のレストランで次のような光景にであったとしましょう。テーブルの上に料理が並べられている。それを指差して「xxxx」と、何か外国語で言っている人がいます。何かを言いたいらしい、とは分かっても、それが「料理」なのか「食べもの」なのか「昼食」なのか「食べろ」なのか「食べてはいけない」なのか「私のおごりだ」なのか「昼食代はあとで請求する」なのか、言葉の意味はまったく分かりません。どうすれば、言葉が通じるようになるのでしょうか?

「○○語旅行会話」という本を携帯していて、言われた外国語の文が載っているページを、急いで探せばよいのでしょうか? それでは、とても間に合わない。ページをめくっている間に、ウェイターが来て、テーブルの上を片付けてしまうでしょうね。外国語を、辞書を引きながらいちいち日本語に翻訳しているようでは、実際の会話には役立たない。最近性能がよくなったといわれる電子翻訳機を使っても、実際、なかなかうまくはいきません。

外国語を本当にマスターするためには、やはり、二年なり三年なりの時間をかけて、その言語を使っている人々と毎日の生活をともにして、あらゆる場面での言葉の使われ方を経験するしかない。言葉の意味は、人間の動作、人間と物との相互関係、身体の周りに現れる物質現象への注目と操作、それが引き起こす仮想運動の集団的な共鳴、それに連携する音声の発声と聞き取りの学習による。つまり、その言語を使う人間集団内でそれら脳活動が共鳴するシステムを、スポーツのように身体運動シミュレーションとして習得し共有することで、それを使いこなせるようになる。

拝読サイト:炸裂ラホール 後編

拝読サイト:子供達の成長が人より早い

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