哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

不老不死は可能か end

2018年09月22日 | yyy64不老不死は可能か


不老不死への渇望は現代人の中にもひそかに根強く息づいている。むしろ共同体の存在感が薄れ個人の自我だけが肥大した現代人にとっては、現代科学への期待を背景として、異常に強くなっているかもしれません。現代のカルチャーあるいは宗教のようなものかもしれません。
しかしずっと後の時代の人々には、もう、それは結局よく分からなくなります。ある時代の存在感の、その体感というものは、その時代の人にしか分からないでしょう。■








(64 不老不死は可能か end)
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死の観念も変わる

2018年09月21日 | yyy64不老不死は可能か


とすれば常識も変わる。人生観も変わる。死の観念も変わり恐怖感情も薄れていくでしょう。小学生の頃あれほど怖かった幽霊を怖がる大人が多くないように(拙稿42章「幽霊はなぜ怖いのか」)。





アルカディアの羊飼いたち(我アルカディアにもあり)




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プロ棋士先崎学さんの「うつ病九段」は、絶対に読んだほうがいい。誰もがうつになる可能性があるのだから。



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そのカルチャーもいずれは消える

2018年09月20日 | yyy64不老不死は可能か


そのカルチャーもいずれは消えていく。死も生も宗教も時代に共有された錯覚でしかないからです(拙稿15章「私はなぜ死ぬのか」)。これからの人間社会は、それが存続するとすれば、それは過去のカルチャーが支えきれるものではないでしょう。








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死のカルチャー

2018年09月19日 | yyy64不老不死は可能か


宗教は特効薬を売りつけるのに効果的な死の恐怖を強調する立場にあることは、聖書経典ばかりでなく、聖者高僧の著作、時代の詩歌、演劇を見れば明らかです。それはいわば死の教育、死のカルチャーとなって現代に至る社会常識の底辺を形成しています。








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今週の読書は経済書を中心に大量に読んで計8冊!



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死の恐怖という劇症

2018年09月18日 | yyy64不老不死は可能か


しかし将来にわたって宗教が薄まっていくとすれば(拙稿39章「神仏を信じない人々」)、特効薬が消えると同時に、死の恐怖という劇症も治まっていく希望があります。








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