現実の客観的な物質世界が個人の内面を作っているのでもなければ、個人の内面の主観が現実を作っているのでもありません。現実だけが存在している(唯物論)といっても、あるいは内面だけが存在している(独我論)といっても、どちらも矛盾から逃れられない。また現実と内面が両方とも存在しているという二元論は明らかに論理矛盾になっています。
古来、哲学をはじめ科学、文学ばかりでなく私たちの日常会話をも混乱させてきたこれらいずれの考え方も、存在という言葉、あるいは存在感という感覚、に引きずられて間違いに陥っているといえます。むしろ、人類共通の神経機構が(拙稿の見解では)集団的に共鳴を起こすことで現実が現れてくる、というべきでしょう。
本章で言いたかったことは、そういう人類特有の身体のつくりが、私たちがこうして現実の中に毎日を生きている理由である、ということです。■
(32 私はなぜ現実に生きているのか? end)