私たちの身体は、現実をしっかりつかんでから、それに対応して行為をなしていくように作られている。エアコンが室温を感知するのと同じです。エアコンに向かって、「室温といっても一つじゃなくて、測る場所や近くの発熱体や検知器の性能によって値がちがってくる。 だから室温といっても複数あるものなのだよ」と言ってみても、言うことを聞いてはくれない。エアコンは決まった検知器で決まった場所の気温を測定して、その情報を現実として、モーターを駆動する。逆にいえば、コンプレッサのモーターを駆動する情報をもたらすものが、エアコンにとっての室温という現実です。本当の室温とは何か、などという問題は、エアコンにとっては意味がない。モーターを駆動する信号を作っているものが現実の室温ということになる。たとえば変な設計のエアコンがあって、温度検知器が三個付いているとする。一個は床、一個は天井、残りの一個は冷蔵庫の裏に取り付けられています。信号切替え器がランダムに三個の検知器データを切り替えてしまうとします。エアコンは与えられた、あやしげな、室温信号にしたがって、モーターを駆動するでしょう。でもそれが、エアコンにとっての現実の世界です。
私たちの身体が、それを現実と感じ取って行為の結果を予測しながら行為を実行していく場合、感じ取っているそれを現実ということができる。無意識のうちに身体が予測する運動結果に引きずられて、私たちの身体は変化する。そのような予測結果をもたらす世界を(拙稿の見解では)、私たちは現実と感じる。
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