哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

生物の概念

2009年03月31日 | x9私はここにいる

Gustave_moreau_prometheus

物理学者は、このリンゴを電子と陽子と中性子の集合体と思う。化学者は、それを炭素、酸素、窒素、水素の化合物と思う。生物学者は、それをある種のゲノムが発現した表現型だと思う。分子生物学者は、酵素の立体構造が変換するエネルギーを計算する。生態学者は、森の中でリンゴが他の生物と競合共存するプロセスを定量化する。

研究が進むほど、生物学による生物の概念も変わっていく(二〇〇七年 ジェームス・エルサー、アンドリュー・ハミルトン『化学量論と新しい生物学』)。生物現象は、いまや従来の生物学の対象というばかりでなく、化学、物理学、工学、数学などが攻め込んでくる境界領域となっている(二〇〇九年 グレゴリー・リーヴス、スコット・フレイザー『工学的観点からの生物システム』)。

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リンゴは原子の集合体

2009年03月30日 | x9私はここにいる

ここにリンゴがある。これがリンゴだと思うのは私が日本人だからです。中国人なら苹果だと思う。イギリス人ならアップルとか、フランス人ならポムとか思うでしょう。食べるとおいしい。だからこれは食べ物です。

しかし科学者はこれを植物だと思う。生物体です。細胞の集合体です。細胞はたんぱく質でできている。炭素、酸素、窒素、水素の化合物です。原子の集合体です。原子は電子と陽子と中性子の集合体です。しかし、そういうものは小さすぎて目にみえない。

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物質世界は本物?

2009年03月29日 | x9私はここにいる

Gustave_moreau_glosy

そうはいってみても、いろいろな種類の現実がある、という考えはどうもすっきりこない。やはり本当の現実は一つでしょう。という気がしてしまいますね。

たとえば、私たちの目の前にあるこの客観的な物質世界は本物でしょう? と聞いてみたい。

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学習したことが現実

2009年03月28日 | x9私はここにいる

事前に行為の結果を予測し、事後に行為の結果を実測して、私たちの身体は学習していく。その予測の通りに身体が動いて予測の通りの結果が現れてくる場合、私たちの身体はその予測を現実と感じて、それを学習する。逆にいえば、私たちが学習したことが現実となる。

そういう言い方をつかうとすれば、実験をしている科学者にとっては、実験装置の中で起こっている酸化現象が現実(現実1)です。また、伝い歩きをしていて転んでしまった一歳児にとっては、目の前の床が跳ね上がっておでこに当たってくる衝撃が現実(現実2)です。また近所の奥さんと世間話をしている学生にとっては、自分の態度を行儀悪いと思ったかもしれない奥さんの感情の動き方が現実(現実3)でしょう。

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予測のための現実

2009年03月27日 | x9私はここにいる

Gustave_moreau_europa

私たちの身体は、現実をしっかりつかんでから、それに対応して行為をなしていくように作られている。エアコンが室温を感知するのと同じです。エアコンに向かって、「室温といっても一つじゃなくて、測る場所や近くの発熱体や検知器の性能によって値がちがってくる。 だから室温といっても複数あるものなのだよ」と言ってみても、言うことを聞いてはくれない。エアコンは決まった検知器で決まった場所の気温を測定して、その情報を現実として、モーターを駆動する。逆にいえば、コンプレッサのモーターを駆動する情報をもたらすものが、エアコンにとっての室温という現実です。本当の室温とは何か、などという問題は、エアコンにとっては意味がない。モーターを駆動する信号を作っているものが現実の室温ということになる。たとえば変な設計のエアコンがあって、温度検知器が三個付いているとする。一個は床、一個は天井、残りの一個は冷蔵庫の裏に取り付けられています。信号切替え器がランダムに三個の検知器データを切り替えてしまうとします。エアコンは与えられた、あやしげな、室温信号にしたがって、モーターを駆動するでしょう。でもそれが、エアコンにとっての現実の世界です。

私たちの身体が、それを現実と感じ取って行為の結果を予測しながら行為を実行していく場合、感じ取っているそれを現実ということができる。無意識のうちに身体が予測する運動結果に引きずられて、私たちの身体は変化する。そのような予測結果をもたらす世界を(拙稿の見解では)、私たちは現実と感じる。

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