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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

どうやって優劣を判定するのか?

2025年03月31日 | その他


夜八時に近くのマーケットが閉店するので、その十五分くらい前に行って、半額引きを買います。豆ごはんとか、野菜てんぷらが、かなり残っている。もったいないので買います。生菓子の割引も買って、すぐ食べます。あと、インターネットの夜のジャズを聴く。二時間くらい連続で演奏してくれます。無料。ときどき宣伝が入るが、スキップボタンで飛ばせます。インターネットさえあれば、一日中、つけっぱなしで時間つぶしはできます。老人だから困らないが、いい若いものがスマホを見っぱなしでも、何ら向上できない、と気が付いたらばつらいでしょう。インターネット学習のシステム発展は重要です。官製ではだめでしょう。競争市場のような活気が必要です。青少年は、大学受験競争はもう、うんざりですね。YouTubeオーディションのほうが面白いかもしれません。厳しい競争は必要です。どうやって優劣を判定するのか?どこかで、うまいシステムが成長してくるでしょうか?








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成田 悠輔氏が石破総理大臣と対談

2025年03月30日 | その他


YouTubeで成田 悠輔氏が石破総理大臣と対談しているので、顔を洗う前に出だしを見て、一時停止にしておきました。頭を乾かしてから、再開すると、案の定、徹底激論とかいう大げさなタイトルのわりにふつうの話をしていて、選挙は義務制にしたらとか、有権者を大事に、とか首相は言っていました。中身よりも、テレビに出たがらないように見える人と首相が一対一で対談するという設定が、めあたらしい。YouTubeも役に立っている、と思いました。オールドメディアも緊張するでしょう。
結局、誰かが作っていて、誰かがそれに乗っているから、存在している、はずですが。








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昨日はパス。ごめん

2025年03月30日 | その他


悪天候で散歩にも行かず、座りっぱなしだったので、長椅子で腰を伸ばしました。いつも、布団をたたんでおいてあるので寝心地がよい。いつのまにか、夢を見ていました。「課長、業務計画を説明させてください」課長席の前のソファーに座ると、書類を拡げます。「あ、そのコピー、古いよ」と言われて、えっ、とたじろいだところで目が覚めました。たぶん、五十年前の記憶がよみがえってきていたのでしょう。
目が覚めると、もう十時。すぐ寝るしかない。布団を拡げながら寝落ち。風邪薬が効きすぎたのか、年を取りすぎたのか、寝つきがよすぎます。それで、本稿も昨日はパス。ごめん、といたします。








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数日ぶりにテレビを見ていたら

2025年03月28日 | その他


夕べ、数日ぶりにテレビを見ていたら、テレビ朝日で池上潔が昭和百年の歴史を語っていました。日本の学校制度は、占領期GHQの担当者が米国での自分の出身州の制度を持ち込んだからできた、という池上の解説に、スタジオの人々が驚いた顔をしているのが映されていました。社会人の知識は、テレビで作られることをテレビ自身が知っているようです。テレビのトーク番組は、ゲストが笑いで混ぜ返したりして、空気をつくりだします。インターネットの場合は、テレビ風の動画もあり、識者の解説や語りもあり、空気は一定しません。その分、ユーザーは自由を感ずることができます。逆に孤独も感じます。コメントなど書き込む側になれば参加意識も持てる、と同時に責任も感じる。そういうものは感じたくないユーザーは隠れていることもできます。つまり参加の自由とインサイダーの居心地の良さ、のグラジュエーションがあります。それ全体の自由と冷たさがインターネットの特徴でもあります。







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抜け出せれば、それは見える

2025年03月27日 | その他


これはインターネットが犯人なのか?違うでしょう。自分が、現実を適当に分かってしまう能力を持っているから、というほうが正解。現代の現実世界では、新鮮な経験ができない。そのわりに、インターネットではバーチャルな情報が拾えます。断片的であるがゆえに、もっともらしい、と思ってしまいます。テレビやインターネット、町の風景などを混ぜ合わせると、もっともらしい、現実らしいものを感じてしまいます。そういうものには、自分の直感が、底のほうでしっかり影響しているはずです。しかしそれは自覚できない。たとえば景気がよくなってきている、とか不景気が続きそう、とか、空気のような感じです。そこから抜け出せれば、それは見える。しかし、抜ける前は、自覚はできません。







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