哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

ふつうの人間を見分ける

2012年04月30日 | xx9 生きるという生き方

いずれの文化も、客観的現実世界を共有する仲間としての生きている人間とはいかなるものであるかを見分ける理論を持つことに注意する必要があります。客観的現実世界を共有する仲間が正常な(正気な、ふつうの)人間であって、私たちは、その仲間に加わって現実の中に生き続けなければならない、と思っています。

どこの文化もどの宗教も、どの学校も、どの先生も、言葉を使って、あるいは表情やしぐさで、正常な人間のあり方を教えています。正常な人間を見分けることができるようにすること。それが文化の重要な役割です。

私たちの身体は無意識のうちに正常な人間を見分けて、それにしかるべく反応するようにできていますが、文化はそれをさらに意識的に言葉によって仕分けることができるようにしてくれます。

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伝統的慣習や民間信仰

2012年04月29日 | xx9 生きるという生き方

John_william_waterhouse__the_missal また実際、国や時代によって「生きる」という言葉の使い方は少しずつずれています。たとえば、人が生きるという状態を侵害する殺人罪を定義する法律など、各国で少しずつ違います。堕胎や尊厳死の認否など国や時代によって少しずつ違いがあります。どれが正しいかということとは別に、違いがあるところに文化あるいは宗教倫理の影響が表れているといえます。

当然のこととして行われている現代の法律や習慣の背景にある人々の伝統的無自覚的な慣習や民間信仰などを調べると、人間が生きる、ということをどう捉えているかに文化の違いがはっきりと読み取れます。

たとえば、未開人の堕胎、間引き、生贄、葬儀、刑罰、病気祈祷などに現代人から見ると奇怪な風習が観察されますが、これらの文化を支える感覚は現代人の文化の底流にも見つけることができます。それぞれの文化が、「人が生きる」という概念をどのような理論で支えているかを表しているとみることができます。

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人類共通の使われ方

2012年04月28日 | xx9 生きるという生き方

世界のどの文化でも、「生きる」という言葉は、生物学的な状態認知に関しても人間の存否に関しても区別なく使われています。この点で、おおまかには「生きる」という言葉は人類共通の使われ方をしている、という基本は認めてよいと思われます。

ではその使われ方を詳細に見ていくと、文化による違いはどうか? ほとんどの言葉の使われ方において、細かいところは、言語、方言、文化によって違います。

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「生きる」の多義性

2012年04月27日 | xx9 生きるという生き方

John_william_waterhouse__the_favori ここまでに何度か指摘したように、「生きる」という言葉は通常、生物の生物学的な生死を指して言うと同時に、人間が仲間と世界を共有している、ということを指しても言います。ふつうの会話では、この二つの意味を特に区別せずに使います。新聞、テレビ、本、雑誌などの場でも、区別は意識されません。いわゆる哲学的な問答で、「植物人間は生きているといえるか?」とか、「動物に心はあるか?」などという話題が出るような特殊な場面でだけ、二つの意味が分離されることがあります。

拙稿にとって興味があるのは、哲学問答よりも、むしろ同じ「生きる」という言葉が意識されずに多義的に使われているという事実です。

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生きるという文化

2012年04月26日 | xx9 生きるという生き方

人類の文化には人類共通の部分と地域集団に固有の部分とがあります。言語の構造と同様に、文化も人類の身体構造に依存する部分の上に、集団的に世代継承されていく付加部分があるということでしょう。

拙稿本章のテーマである、生きるという言葉の使い方、に関しても地域集団に固有な世代継承されてきた部分があるでしょう。中世以降、現代にいたる歴史時代では特に宗教の影響も強いと考えられます。

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