哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

私を知る私 end

2012年08月11日 | xxx私を知る私

私たち現代人は、言語等で直接に表現できないような自己中心的自我を自分自身だと思い込んでいる。一方、言葉で語り始めた瞬間、それはそれ自身とは違う客観的なものになってしまう。そこに現代人のフラストレーションが出てくるのはしかたがないでしょう。

言葉(言語等)で語り合う限り、言葉(言語等)で考えようとする限り、私たちが知り得る私というものは、他人から見える私と違うものではありません。私たちは他人を知る以上に自分を知ることはできない。逆に言えば、私たちにとって私とはそれだけのものです。この限界に、現代人である私たちは、なかなか気がつきません。■

(30 私を知る私 end

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哲学の混乱

2012年08月10日 | xxx私を知る私

Herbert_james_draper_by_summer_seas しかしそういうこと全体を、私たちは言葉(言語等)を使って語り合うしかない。ところが、言語等の限界として、現代人の思うところの自己中心的自我は直接に表現できない。ここに近代哲学、現代哲学の混乱が起きています。哲学の混乱は知識人、教師、マスコミの混乱に通じて、現代人の自我意識に複雑な影響を与えています。

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私だけが知る私

2012年08月09日 | xxx私を知る私

一方、この現実を知る本当の私を知っているのはこの私ただ一人しかいない、と現代人である私たちは思っています。(昔の人はこの私以外にも仲間、一族、あるいは神様が本当の私を知っていると思っていましたが)現代人の私たちにとってこれは常識になっています。そうであれば、私だけが私の自己中心的自我(第二の自我、言葉では言い表せない本当の私)を知っていることになる。

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私を含むこの現実

2012年08月08日 | xxx私を知る私

Herbert_james_draper_art_and_the_ja 拙稿本章をまとめてみましょう。

私が知る私とは何か?私はまず現実としての私(第一の自我)を知る。だれの目にも見える私の身体。履歴、自己紹介、過去の事実、ルーツ、社会的地位、収入、資産、家族、友人関係。だれもが知ることができる私の行動。それらはすべて現実です。私は、私を含むこの現実を知る。それは、現実を知る私を知る、ということです。

拝読ブログ:【1374冊目】みうらじゅん『とんまつりJAPAN』<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"></shapetype> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock><shape id="図_x0020_1" type="#_x0000_t75" alt="説明: Comments" o:spid="_x0000_i1025" style="WIDTH: 12pt; HEIGHT: 12pt; VISIBILITY: visible; mso-wrap-style: square"></shape><imagedata src="file:///C:DOCUME~1ADMINI~1LOCALS~1Tempmsohtmlclip11clip_image001.gif" o:title="Comments"></imagedata>

拝読ブログ:【虚構】から【現実】への跳躍―『朝のガスパール』『serial experiments lain』がもたらしたもの―  : ゲームばっかりやってきました

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他人である私

2012年08月07日 | xxx私を知る私

私が知っている人間たちの中では、たしかに私はとびぬけて自分自身のことをよく知っています。しかしその知り方は、結局はほかの人間を知る知り方と変わりがない。私というものが私にとって特別なものである、という理由はこの現実世界の中には見つからない(拙稿23章「人類最大の謎」 )。言い換えれば(この現実世界においては)、私というものは私にとって、もっとも親しい他人である。とても親しいけれども他人である。それ以外のものではない、ということができます。

拝読ブログ:Memai... 自意識過剰・他人の目を気にしすぎて辛い。

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