一八七七年にエドワード・シルヴェスター・モースは米国から横浜に到着して、新橋に向かう陸蒸気の車窓から、鉄道開通工事跡の切通しの崖に貝塚らしい地層を発見しました。その場所は大森駅の北側、西側に見える崖層です。これはまさに、武蔵野台地の東端です。江戸湾の過去の波打ち際だ、とモースは日記に書いています。モースが後年、館長を務めたセーラムのピーボディ博物館では、モースの日本での博物コレクションが展示されています。筆者は米国滞在時、これを見にセーラムを訪れました。魔女狩りで有名な観光地ですがナサニエル・ホーソーン(緋文字)など文学者の街でもあり、文化的な都市にふさわしい立派な博物館がありました。よく集めてくれたなあ、と思うほど種々の江戸、明治の道具、物品、動植物、写真、など、さすが昔の博物学者はえらかった。日本に来てくれてよかったです。

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ピーボディ・エセックス博物館
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エドワード・S・モース