哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

理論を語る

2012年05月31日 | xx9 生きるという生き方

Psyche_opening_the_door_into_cupids 私たちが現実について語るとき、日常会話、世間話、仕事上の会話、政治、科学、神学その他すべてのコミュニケーションや言語表現は、このように共有する現実の上に作られた種々の理論について語り合っている、といえます。

拝読ブログ:「ダニエル・カーネマン 心理と経済を語る」の感想(1) - Log for Backup - Naoki_Rinの学習

拝読ブログ:理論物理学者ブライアン・グリーンが語る「人間もホログラフィの一種」という可能性

コメント

便利な身体を持つ

2012年05月30日 | xx9 生きるという生き方

逆に言えば、仲間が感じ取っているはずの現実をそのまま現実として感じ取るように作られた身体を持っていることが、人類が緊密な社会を維持し生存繁殖するために大いに便利であったから、私たち現代人は、そう感じ取る身体を持っている、と考えることができます。

拝読ブログ:演劇と身体(太田省吾の演劇体験より): ボディワーク メタモルフォーゼ

拝読ブログ:電子レンジ便利 - エクストリーム雑記

コメント

錯覚することで成功

2012年05月29日 | xx9 生きるという生き方

Peristyle 私たち人間は、身体が感じとる現実世界の存在感、あるいは実在感、という錯覚に惑わされるように進化したおかげで繁殖に大成功した動物です(拙稿第一部 哲学はなぜ間違うのか・第4章「世界という錯覚を共有する動物」 )。私たちは、身体が感じ取る身の周りの物事の存在感を手がかりにして、仲間とそれを共有することで客観的現実世界全体を感じ取り、さらにその上に言語を作り上げ、言語を使って文化を作りあげることで、皆で共有する現実世界を安定化し、そこにいろいろな理論を作って日常生活に使っています。

拝読ブログ:じじぃの「日本のケータイの絵文字・ニコニコ動画が世界標準に?世界に誇る日本のすごいチカラ」 - 老兵は黙って去りゆくのみ

拝読ブログ:わらし仙人の読書三昧日記:失敗を成功にする方法「閃く脳のつくり方」

コメント

現実以外の何か

2012年05月28日 | xx9 生きるという生き方

私たち人間にとってこの現実の現れ方は、それ以外には何もないという意味で、すべてが現れている、といえます。目や耳で感じられる光景や音声が確かなものだと感じられることとまったく同じように確かに、この現実世界全体の存在を、私たちの身体はいつも感じ取っています。

それは人間の身体の物質的な構造そのものから来るからです。この身体の中に生きる私たちもまた、この身体が感じ取る現実以外に何か他のものを感じ取ることはできようがない、というべきでしょう。何か他にあるはずだ、と思うことは幻想です。

拝読ブログ:fucchiE公式blog『Eが大文字あと小文字』 : 淋。

拝読ブログ:インターネットがめんどくさいので現実に逃げたい

コメント

身体の形而上学

2012年05月27日 | xx9 生きるという生き方

Ophelia_1910 その行き止まりの中で私たちは生きている。人間はだれもそうです。それはかつて哲学者たちが形而上学 と呼んだ問題ですが、(拙稿の見解では)これは実は高尚な哲学問題であるというよりも私たちの体感が(錯覚として)こう感じさせるのであって、それは私たち人間の身体が(進化により)そう作られているから、という理由以外の理由はありません。

拝読ブログ:オタクと形而上学(旧:山中芸大日記) 君の正義と俺の正義は違うか

拝読ブログ:ヘーゲル『大論理学』 ~ たえばカントの観念論やフィヒテの観念論のような Dialektische Entwicklung/ウェブリブログ

コメント