哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

数学表現による予測

2011年08月31日 | xx6「する」とは何か

Godwardcampaspe 一方、現代科学が描く物質世界の像は、私たちの日常言語とは明らかに違うにもかかわらず、私たちが感じる日常的な現実の変化をよく予測できます。科学の予測を日常の言葉で表した言い方を私たちはよく使います。たとえば「月は月一回地球の周りを回る」といいます。当然その場合、「~する」という図式の言葉で表現されます。しかしこの言語表現では月の位置、速度の変化を正確にあらわすことができない。正確な予測には、やはり数学表現が必要になってしまいます。

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世界のすべてを語る

2011年08月30日 | xx6「する」とは何か

私たちが感じ取っているこの現実世界は(拙稿の見解によれば)、このように「~する」という図式の言葉で表せる物事だけから作られている。逆に、そのように作られていることから、この世界は「~する」という図式の言葉で表すことができる。何事も仲間との間で運動共鳴を使って通じ合う私たち人間は、当然、こういう言語を使うことですべてに関して通じ合うことができます。そうして、そうであるから私たちは私たちの言語で世界のすべてを語ることができる、と思っています。

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現実を作る集団認知

2011年08月29日 | xx6「する」とは何か

Godwardc 逆に言えば、私たち人類は、仲間との運動共鳴によるこういう集団的な認知の仕方でしか世界を知ることができません。人間は、運動共鳴による認知を表す「~する」という図式の言葉を使って世界の変化を予測して社会生活を維持する動物に進化しました。私たちがこうして感じ取っている現実世界は、このように進化した人間の身体が集団的に作り出しているもの(表現型)である、といえます。つまり(拙稿の見解では)、この現実世界は、人間が運動共鳴によって身体を動かし、仲間と協力して集団活動を行いやすいように作られたものである、といえます(拙稿24章「世界の構造と起源」 )。

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物事の変化を予測

2011年08月28日 | xx6「する」とは何か

私たちの身体は(拙稿の見解によれば)仲間の動作を目で見て、あるいは耳で聞いて、無意識のうちにその運動に共鳴を起こす。その運動共鳴を使って物事の変化を予測し、その結果を知って、学習し記憶する(拙稿4章「 世界という錯覚を共有する動物(5)」 )。そのとき私たちは、運動共鳴を使って認知する物事の変化を「~する」という図式の言葉で表します。

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言語と現実

2011年08月27日 | xx6「する」とは何か

Godwardb_2 しかし、科学の描写する物質世界と私たちが身体で感じ取る現実とはもともと違う。さらに私たちが日常会話で話題を交し合う客観的現実はまた、そのどちらとも違う(拙稿19章私はここにいる」)。

私たちは、「~する」という図式の言葉をこれらのいずれの世界を語る場合にも使う。違和感を持たずに使っています。そういうことでいいのか? そもそも「~する」という図式の言葉は何者なのか? 私たちが毎日何気なく使っている言語というものは、いったい現実を正しく表すことなどできるのか?

この辺があやしい、ここら辺が私たちの哲学、私たちの世界観、私たちの人生観、が混乱する原因ではないのか、と拙稿は考えます。

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