本章をまとめてみましょう。
私はなぜ、なぜと問うのか?
物事がこうであるのはなぜか?
(「物事」を「○○」で置き換えてみましょう。疑問文「○○がこうであるのはなぜか?」の○○に好きな言葉を入れてください。この後に出てくる「物事」という語をその「○○」で置き換えて読み直してみてください)
それは、物事がこうであるのはなぜか、と私たちが問うから物事はこうである、と答えることができます。私たちは物事がこうであるのはなぜか、と問うとき、答えが得られなくても、すでに物事がこうである、と思っています。
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私たちの直感では、この世のもろもろの物事は、それぞれ、だれかがそうしたくてそうしているから起こる。何者かは分からなくても、何者かのなせる業である、と感じます。逆に言えば、その物事が何者かのなせる業であると直感するとき、私たちはその物事が起きていると気が付く。認知できる。そうでない物事は無意識に無視してしまいます。
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ちなみに、物事がこうである、というときのこういう私たちの直感と現代科学の考え方とは、まったく違います。現代科学は物事がこうである真の原因(vera causa)を問う。科学でいう真の原因とは、ある状態から科学の法則だけに従って次の状態に変化が起こり得るということです。地球上の生物は神様が創造したという(真でない)原因で存在しているのではなくて、ある一個の始原細胞が変異と自然淘汰の繰り返しにより地球上に分散することで過去および現存のすべての生物に進化し得るという真の原因により存在している(一八五九年 チャールズ・ダーウィン「生存競争における適者保存あるいは自然淘汰の作用による種の起源について 」)。
この現代科学の考え方は私たちの直感になじみません。
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