哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

生きている人間だから

2008年04月12日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

人生の幸運ということを、あらためて考えてみれば、そもそも、人生について考えることができる、ということそのことが非常な幸運である、というべきでしょう。まず、生きている人間であるということ。地球生態系の最高位に位置する動物として生きていること。そのことそのものが、どの人間にとっても、その人生でつかみ得る最大の幸運でしょう。自然の最高傑作であるこのすばらしい肉体を持って、みごとに洗練された知的システムである仲間の人間と、それがだれであろうと、なにごとかを交信できるということに勝る楽しさはない。そしてうまくすれば、歴史に蓄積された文化と文明の中に身をおき、そこに作られたゲームを楽しませてもらえる。それ以上の幸福が人生にあると思うのは、幻想ではないでしょうか?

筆者ですか? 実人生ではともかく、趣味の世界では成功が多い。毎晩、だいたいはその日一日に満足して床に就きます。次の朝は爽快に起きる。コーヒーを沸かしトーストを焼く。一口飲んで香りをかぐと、人生の幸福とは何か、はっきり分かる。すっきりした幸せな気分で家を出ます。

ただ、人と同じくらいの早足で歩いて行くのに、たいていバスに乗り遅れて、いつも自分ばかりが置いていかれているような気がする。すぐそこに見えているのにバスが行ってしまうと、さりげなく視線をそらし、平然とした顔をして歩行速度をわざとゆっくりと落としながら、口の中では運命の女神を罵る言葉をつぶやいています。

私はなぜ幸福になれないのか? それは、私が生きている人間だからでしょう、たぶん。

ようするに、私たちは、生きているから幸福になれない。幸福になれないから生きていられる。

(サブテーマ:私はなぜ幸福になれないのか? end)

(次回からは サブテーマ:私はなぜ幸福になれるのか?)

拝読サイト:火災報知器と進化のハナシ

拝読サイト:☆高校生☆

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小さな幸福を抑える

2008年04月11日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

Boucher_pastral  同様に、私たちの世間話ではよくあることですが、ある行為をして獲得できた金額の多寡、あるいは社会的地位の上下についてだけ論じても、幸福の程度は分からない。お金や出世による幸福がありがたい、ということは万人が認めるところですが、どのくらいありがたいか、その程度については、人それぞれ、そのとき、その場合による。その人が、そのとき、何を大事だと思って生きているか? だれもが自分と同じ考えだと思えば簡単な問題ですが、そうはいかないでしょう。

私たちは、上位の、長期的な、大きな目的を持っているときは、下位の小さな幸福にはこだわらない。それだけを見ればそれがかなりな不幸でも、耐えられる。「人生辛抱だ」とか、「がんばらなくちゃ」とかいうことは、そういうことでしょう。私たちは、先の大きな幸福を夢見ているからです。そういう脳を人間は持っている。そういうふうに人類の神経系が進化したからです。長期の大きな目的のために小さな幸福の欲求を抑える神経系の能力が、人類の生存繁殖に有利だったに違いありません。

冬ひもじくても、春にまく種は食べない。逆に、どれほどたくさんの穀倉を所有していたとしても、さらにそれを倍増させようとして、死に物狂いに働く。私たちは、その状況におかれれば、だれもが、そういうことをします。そういう行動をするような脳を持った人類が生き残った。その子孫である私たちは、こうして、いつでも、いつまでも、明日の人生の幸福を懸命に追い続ける生き方をするようになりました。

拝読サイト:勝海舟の言葉4・・・WONT BE LONG25

拝読サイト:野茂さーん、頑張って。

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この世で最大の幸福

2008年04月10日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

小さな問題で成功することよりも大きな一番上位の問題で成功するように行動せよ、というようなことを、昔の処世訓も現代のハウツー成功指南書も教えていますね。教えられるまでもなく、私たちは、そのことが分かっている。上位の問題を、それが上位であると思えば、それの成功を目指して行動する。私たちの身体は、そうできているわけです。

たしかに、自分が料理をおいしく味わえるかどうか、ということよりも、取引相手がご機嫌になって、スムーズに契約の話が進むことのほうがずっと大事でしょう。だから、自分がおいしいと感じるかよりも、相手がおいしいと思っているかどうかに神経を使わないといけません。そういう考えで仕事をしないと、成功も出世もおぼつかない。

そもそも、ビジネスの相手と商談するということが、今ここに自分がいる目的だと分かっているならば、自分が今感じている料理の味だけで幸せを感じるのはおかしいわけです。上位の目的をもって行動しているときは、下位の問題に関する幸福は軽視される。しかし上位の目的、たとえば、食事の相手との付き合いを深めるとか、などがないときは、今食べている料理の味がこの世で最大の幸福を与える場合もある。同じ人が同じ料理を食べていても、その人が何を目的にしているかで、幸福感は全然違う。料理についてだけ注目して、その味を経験することが幸福かどうかを論じても、あまり意味はない。

拝読サイト:現代日本の美的アイテム

拝読サイト:ココ、バット。

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一番上位の問題

2008年04月09日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

Boucher_madame_de_pompadour2 人生の成功が大事だと思えば、出世と収入がありがたい。仕事の勝負に生きている、と思えば、ビジネスの成果が一番うれしい。しかし、そのときそのときの快不快に身をゆだねる、という生き方もある。それでいくと、おいしい食事が一番重要です。一方、人間身体が一番大事、という考えも正しそうです。そうなると、奥歯が治ったことが一番ラッキー、ということですね。

歯の具合とか、今食べている料理の味とかの問題は、ビジネスの成功に対して小さな問題です。下位の問題だといえる。どうでもいいこと、関係ない問題、といえる。ビジネスの成功という大きな上位の問題がうまくいってこそ、大きな幸福が手に入る。個人にとって一番上位の問題が自分の人生だとすれば、その成功が一番大きな幸福となる。

拝読サイト:入学式前日。

拝読サイト:働くということ。

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いろいろなレベルでの幸福

2008年04月08日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

ビジネスマンA氏が、取引先の代表と会食しています。会話はなごやかに進んでいく。この調子で契約がうまくいくと、とてもラッキーです。ここまでくれば、たぶん大丈夫でしょう。そうなれば、ビジネスとして、今期最大の成果があげられる。うまくすれば、ひとつ出世できるし、年収もかなり増える。間違いなくラッキーです。それでA氏は幸福を感じている。

相手は同年輩の感じのいい紳士です。教養深く、趣味の話をしても思わず引き込まれる。会話が楽しい。そのことでもA氏は幸福を感じている。

料理は和食ですが、さすが一流の料理人の仕事はすばらしい。口に運ぶごとに最高の味わいがある。ここでもA氏は幸福感を味わう。

奥歯をかみ締めると昨日歯医者で治療した歯の具合はよいようです。このことでもA氏は幸福を感じている。

いろいろなレベルでA氏は幸福を感じている。どれが本当の幸福なのか?

拝読サイト:「今夜は最高!」と言わせたい 心に響く「接待」の名店

拝読サイト:裏「マーフィーの法則」的中!

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