人生の幸運ということを、あらためて考えてみれば、そもそも、人生について考えることができる、ということそのことが非常な幸運である、というべきでしょう。まず、生きている人間であるということ。地球生態系の最高位に位置する動物として生きていること。そのことそのものが、どの人間にとっても、その人生でつかみ得る最大の幸運でしょう。自然の最高傑作であるこのすばらしい肉体を持って、みごとに洗練された知的システムである仲間の人間と、それがだれであろうと、なにごとかを交信できるということに勝る楽しさはない。そしてうまくすれば、歴史に蓄積された文化と文明の中に身をおき、そこに作られたゲームを楽しませてもらえる。それ以上の幸福が人生にあると思うのは、幻想ではないでしょうか?
筆者ですか? 実人生ではともかく、趣味の世界では成功が多い。毎晩、だいたいはその日一日に満足して床に就きます。次の朝は爽快に起きる。コーヒーを沸かしトーストを焼く。一口飲んで香りをかぐと、人生の幸福とは何か、はっきり分かる。すっきりした幸せな気分で家を出ます。
ただ、人と同じくらいの早足で歩いて行くのに、たいていバスに乗り遅れて、いつも自分ばかりが置いていかれているような気がする。すぐそこに見えているのにバスが行ってしまうと、さりげなく視線をそらし、平然とした顔をして歩行速度をわざとゆっくりと落としながら、口の中では運命の女神を罵る言葉をつぶやいています。
私はなぜ幸福になれないのか? それは、私が生きている人間だからでしょう、たぶん。
ようするに、私たちは、生きているから幸福になれない。幸福になれないから生きていられる。
(サブテーマ:私はなぜ幸福になれないのか? end)
(次回からは サブテーマ:私はなぜ幸福になれるのか?)
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