にもかかわらず、自分一人を行動の基準としなければならない私たち現代人は、自分自身の自己中心性を、その同じ言語によって表現しなければなりません(拙稿19章「私はここにいる」 )。
現代人の私たちは、この現代的な自己中心的自我(第二の自我、言葉では言い表せない本当の私)を自身で体感していますから、話し手がそのことを語ろうとしている場合、詩や文学や芸術での比喩的な表現や、コンテキスト(文脈)による判断、話者の空気を読み取ること、などで漠然とは気分が理解できます。しかし、それは言語によってとらえたものではない。その空気が分からない人々には伝えることができません。そのため科学論文に書くことはできず、哲学の議論としても空回りしてしまいます。
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