哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

空間を語る必要

2012年01月18日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Khnopff_fe17dd1 科学がすべてを説明できるといっても、同じことです。説明される私たちが、それが説明できていると思う限りでそれは説明できる、というしかないでしょう。私たちがそう思えること以外にその根拠はありません。私たちがそう思うということは(拙稿の見解によれば)私たちの身体がそのように変化しそのように動いていくということです(拙稿25章「存在は理論なのか?」)。

その空間があると思ってそのように身体が動き、そのように空間が実在すると私たちが感じるということは事実です。あえていえば、私たちがそう思うことによって空間はそのように実在する、といえます。また逆に、私たちがそう思うようにしか空間は実在しない、ともいえる。

そうであるからこそ、私たちは毎日、空間についてお互いにそれをどう思っているのか、空気を読み合い、表情や動作で伝え合い、また言葉で語り合う必要があるのです。

(27 私はなぜ空間を語るのか? end

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存在とは何か

2012年01月17日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

人と人が言葉で語り合う限り、あるいは目と目で語る場合も含め、人間どうしの間では、当然、空間は実在する。何の気なしに、ふつうに歩いている場合も、私たちにとって、ふつうに歩いて行けるということによって、当然、空間は実在しています。しかし逆に、そういうこと以外に空間が実在する根拠があるのかというと、それは、実はありません。

実在とか存在とかいう言葉の意味自体、(拙稿の見解では)私たちの身体が、それが存在するかのごとく反応するということ以上の意味を持たせることはできない(拙稿6章「この世はなぜあるのか?」

)のですから、この空間もまたそのように存在しているとしか言えません。

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理論と実在

2012年01月16日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Khnopff_encens00 現代においては、つまり、科学が描く空間の実在感は、直感で理解しにくいという面で直接的には弱くなっている一方、多数の人々の生活の根幹を支えているという面で間接的には非常に強くなっている、ということができます。その理論が直感ではよく分からないところがあるけれども、素粒子から生物、地球、宇宙、と科学の理論を使ってスケールアップする私たちの空間は、間違いなく実在している、という感じです。

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現代科学の強大な存在感

2012年01月15日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

二十一世紀の現代科学理論による現実現象の予測能力は、近代以前の経典や伝承あるいは古典的科学にくらべて飛躍的に強力なものになっています。科学理論は分かりにくくなっているものの、その予測能力を利用して作られている現代技術文明、たとえばエネルギー、情報通信、医療技術などの成果を日々享受している私たち現代人は、現代科学の強大な存在感をよく知っています。

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拝読ブログ:『死の起源』に再び触れて - 凹レンズ ~まとまりのない日記~

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人類進化の限界

2012年01月14日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Velazquezoriola たしかに、人間のふつうの活動のスケールをはるかに超えたマクロの世界を扱う相対論、宇宙論、あるいはミクロの世界を扱う量子論、素粒子物理学の世界では、かならずしも人間が感じ取る空間概念が統一性あるいは汎用性が高いとはいえません。これらマクロ、ミクロの領域を取り扱う科学では、空間概念や自然法則が、私たちの日常感覚で理解できるものからだんだんと離れていきます。この事実は、私たちの空間感覚が自分たちの身体をスケールとして自然法則を感じ取るところからでき上がっていることを表している、といえます。

宇宙の果ての謎、宇宙の始まりの謎、素粒子の整合性の謎等はマクロの極限、あるいはミクロの極限で起こる現象に関する謎です。人間の生活スケールを大きく超えたマクロあるいはミクロの理論的な空間像が私たちに理解しにくいことは、私たちの身体がコントロールできる程度の空間的時間的スケールでの生活に適応して進化してきた私たちの脳神経系にとっては仕方のないことだ、と納得できます。

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拝読ブログ:さなぎ日記 (あさなぎ心療内科のブログです) 進化について

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