科学がすべてを説明できるといっても、同じことです。説明される私たちが、それが説明できていると思う限りでそれは説明できる、というしかないでしょう。私たちがそう思えること以外にその根拠はありません。私たちがそう思うということは(拙稿の見解によれば)私たちの身体がそのように変化しそのように動いていくということです(拙稿25章「存在は理論なのか?」)。
その空間があると思ってそのように身体が動き、そのように空間が実在すると私たちが感じるということは事実です。あえていえば、私たちがそう思うことによって空間はそのように実在する、といえます。また逆に、私たちがそう思うようにしか空間は実在しない、ともいえる。
そうであるからこそ、私たちは毎日、空間についてお互いにそれをどう思っているのか、空気を読み合い、表情や動作で伝え合い、また言葉で語り合う必要があるのです。
(27 私はなぜ空間を語るのか? end)
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