哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

人類最大の謎を呼ぶ

2018年11月30日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


私達自身がこれは主観的なものでしかないと分かってはいても、かなり強烈な存在感があると感じられる自我意識や激痛や神や悪魔などは他の人にも分かるはずだ、分かってほしい、客観的な存在のようなものではないか、と思いたくなります。その気持が人類最大の謎を呼んでしまう。科学者も人間である以上、必ずこれに巻き込まれてしまいます(拙稿34章「この世に神秘はない」)。







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心身二元論と絡み合う

2018年11月29日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


いまひとつ、自我意識の存在問題が科学の対象として図式化できていないことの大きな原因は、これが伝統的哲学の心身二元論と絡み合うからです(拙稿14章「人類最大の謎」)。







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掴みがたい精神的領域

2018年11月28日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


近年、研究者の層が厚くなってきている脳神経科学、認知心理学などでは自我概念や記憶のメカニズムなどの解明を目指して種々の最新技法が開発されていますが、まだまだ実証科学の対象としては掴みがたい精神的領域でありつづけています。








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コンテキストを想起する

2018年11月27日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


たとえば「はらわたが煮えくり返った」とか「背筋に寒気が走った」とかいうような身体反射として言語に変換される場合、(コンテキストを伴った)記憶ができあがり、そのコンテキストを想起することで感覚や感情が湧き起こります。そうでない場合、つまり無意識の弱い身体反射や習慣的行動あるいは言語以前のおぼろげな感覚や感情は、記憶されずに消えていきます。








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内面で感じていた記憶

2018年11月26日 | yyy65私はなぜ顔を洗うのか


現時点で感じ取れる自我意識は(私の内面で感じている)主観的部分をはっきりと含んでいますが、これが過去の自分が内面で感じていた出来事として記憶されるためには、強烈な身体の反射運動が起こって(膝が震えて転倒するなど、コンテキストを伴った)客観的に観察できる身体行動の記憶となるか、あるいは独語のような言語表現に変換される必要があります。







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