哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

空間の知識を共有

2011年09月30日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Godwardpl 私たちは空間について語る。「それはどこにあるか?」と聞くためには空間の構造をすでに知っている必要があります。たとえば「郵便局はどこですか?」と聞かれて「向かいのビルの地下一階にあります」という会話をする場合、話し手と聞き手は、自分たちが立っているところは道路際であってその道路を渡った向かいにはビルがあること、そしてそのビルには地下があって店舗などが営業していること、などをすでによく知っていなければなりません。話し手と聞き手が、空間の構造に関するそのような知識を共有しているから、空間についてこのような会話がなり立つ。

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記憶喪失、赤ちゃんや認知症

2011年09月29日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

「私はだれでしょう?ここはどこでしょう?」などいうセリフをテレビドラマで記憶喪失の人が言います。ドラマだけあって不思議な状況を設定している。しかし、不思議とは言っても、この記憶喪失の人は自分がだれかという疑問を持ち、ここはどこかという疑問を持っています。こういう疑問さえ持たないのが、生まれたばかりの赤ちゃんや認知症の老人でしょう。赤ちゃんや認知症患者は、身の回りに広がっている空間というものを認めていない。だから自分はだれか、とか、ここはどこか、とかいう疑問を持つはずがありません。

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ここがどこであるか

2011年09月28日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Godwardp 私たちは自分がここにいることを知っています(拙稿19章「私はここにいる」 )。ここがどこであるかも知っています。ここは私の部屋です。私の家の私の部屋です。私は私の家がどこにあるか知っています。私の家は日本の東京にあります。もちろん地球の太平洋側にあるわけです。私がこういうことを知っているのは、しごく当たり前です。逆にこういうことを知らなかったらおかしいですね。

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人間の視覚

2011年09月27日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

人間の視覚については古くは哲学者たち(たとえば一七〇九年 ジョージ・バークリー『視覚新論』あるいは一七〇四年 ゴットフリード・ライプニッツ人知新論 )が、現代では認知科学者たちが、深く研究しています。両眼の網膜に映る画像から3次元空間にある物体の位置と形を推定するメカニズムは、詳しく知られています。しかしそうして感覚器官の情報から推定された情報としての3次元空間の画像データが自分の身体の周りにあるということをなぜ私たちは知っているのだろうか?そしてその3次元空間の中に自分たちの身体があることをなぜ私たちは知っているのでしょうか?

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空間配置

2011年09月26日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Godwardol 私たちの身体の周りに広がっている空間とは、何なのだろうか? あらためて考えてみれば不思議なものだ、と筆者は思います。

身体のすぐ近くから空間は広がっている。

たとえば目の前にパソコンがあります。手を伸ばすとキーボードに触れる。距離は30センチくらいか。キーボードの斜め上方20センチくらいにディスプレーがある。縦20センチ横40センチの長方形です。筆者が自分の目線に合わせて傾きを調整したので、垂直に対して20度くらい後方に傾いています。

私たちは、パッと見て目の前にある物体の空間配置がこのように分かる。なぜ分かるのだろうか?

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