哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

現実に徹する人口比

2013年02月28日 | xxx3現実に徹する人々

Rousseau_loti00 これらを合計すると、人口のどれくらいの割合になるのか? どんな場面でもどんな事態でも徹底的に現実に徹するという人は、現実には、まずほとんどいないでしょう。そのように見えるという人を拾い上げても、人口のせいぜい数パーセントくらいでしょう。しかし、自分は現実に徹するべきだ、とか、どちらかといえば現実に徹しているつもりだ、と思っている人の割合は、現代の日本など先進国では、ずっと多くて、人口の五分の一か四分の一あるいは半分に近いと数えることもできそうです。

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孤独な人々

2013年02月27日 | xxx3現実に徹する人々

要するに、懸命に熱心に人生を生きている人々は現実に徹する人々であることが多い。一方、明日の人生に懐疑的である人々の中にも現実に徹する人はいます。この二つのグループの共通点は、人との感情の交流を信じないために実質上、孤独である、という点です。

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要約

2013年02月26日 | xxx3現実に徹する人々

Rousseau_ligne00 以上をまとめると、現実に徹する人々について、次のことが言えそうです。

まず、エリートのように経済的社会的地位を求めて人々を操作しながら攻撃的な人生を懸命に生きている人は現実に徹する場合が多い。また対極的ですが、社会的弱者あるいは病弱などで防衛的な人生を懸命に生きている人も、また現実に徹する場合は多い。淡々とルーティン的人生を送っているように見える人々の中にも、その日常的作業において熱心であるがゆえに現実に徹する人もいます。またこれらとは別に、明日の人生に懐疑的な怠惰なニヒリスト、老成した人、あるいは若年寄的な若者のようにみえる人たちの中にも、現実に徹する人はいるようです。

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明日を暗くする

2013年02月25日 | xxx3現実に徹する人々

俺たちに明日はない、というアウトローはこのたぐいでしょう。死刑確実な囚人もこうなってしまう人が多いでしょう。また、人生の辛酸をなめた老人などにこのタイプが多いでしょう。ところが現代人、特に日本の若い人たちの中にこのタイプが増えている、という観察もありそうですね。若年寄現象というのか、面白い、といっては不謹慎ですが、少子高齢化を患う国にさもありそうな、もしかしたら人類の明日を暗くするような現象であるのかもしれません。

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人生に怠惰

2013年02月24日 | xxx3現実に徹する人々

Rousseau_leopard00 明日の人生に懐疑的というか、明日に備えることが重要であるということを素直に信じられない人たち。明日の人生を期待できなくて、今日現在の物質的な力だけを信じる。明日を期待して社会的に努力しても、うまくいくとは思っていない。だから何事も懸命にする気になれない。何も努力を傾けるほどの対象として信頼できないから何事も熱心にしない。人と感情が通じ合うことに疑念を持っているので、人のために何かをしたり、してもらったり、ということがない。したがって、人との交流にも熱が入りません。人付き合いに不熱心、怠惰にみえる。生活のすべてにわたって不真面目で怠惰なニヒリストにもみえる。こういう人たちもまた、現実に徹する人、と言えないこともありません。

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