哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

「言葉の意味」の意味

2008年09月30日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Regnault_genius

化け物はこの世のものではない。だから化け物なのであって、物質世界に属するものではない。つまり、客観的な物質現象ではないから、だれの目にも見えず、もちろん手で触ることはできない。それでは、そういうものは、全然意味がないのか、というと、そんなことはない。その言葉が、広く、人々に使われている以上、意味はある。はっきりした意味がある。それは、この言葉が、どういうふうに使われているか、ということです。それでは、この言葉は、どういうふうに使われているのでしょうか? 

「化け物」という言葉を使って私たちが何かを語るときは、どういう場合なのか? 客観的な物質を指して、それについて語りたい、という場合ではない。たいていは、ただ、うまい具合に仲間どうし会話が続いていけばよい、という場合でしょう。たとえば、「あいつは化け物だよ」と言って、にやっと笑う。それを聞いた仲間は、皆いっせいに、にやっと笑う。だれもがそうするとすれば、それが、「化け物」という言葉の意味といえる。そして、何度も使っているうちに、その言葉はそれなりの存在感がでてきて、だれもが、「化け物」という言葉はどんなとき使うか分かった、と思うようになる。それが、実は、「言葉の意味」というものの意味です。

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化け物を利用する人間

2008年09月29日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

「化け物」と聞いて、子供や若い人はたいてい、かなり視覚的な、不気味で恐ろしいイメージを思い浮かべる。ところが、筆者のような人生経験豊かな老人は、化け物など全然怖くありません。人生には、もっとずっと怖いものがたくさんあることを知ってしまったからです。それでも、「化け物」という言葉は、いろいろな場面で、使うと便利です。子供のころ皆で怖がった記憶があるから、それは、大人になってからも利用できる。まあ、化け物よりもずっと怖いものは、化け物を利用する人間ですね。

「○X国の大統領は化け物だ」と、言ってみましょう。友人と食事しながら言っても、軽い談笑に過ぎない。しかし、新聞に投書したらどうか? 「○X国の大統領は化け物だ。化け物が、ますます化け物らしく振舞って、人を怖がらせているのだ」などと書いて見ましょう。まず、載らないでしょうね。ところが、あなたが日本の総理大臣だったら、投書などしなくても、どこかで軽くしゃべっただけで、すぐ新聞に載るでしょう。載ったら載ったで、政治問題になってしまう。総理大臣でなく、あなたが無名の人だとしても、ブログに書いたりしたら危ない。テロリストが来るかもしれないし、サイバー攻撃を受けるかもしれない。思ったことを言えばよい、というほど、世の中は単純ではありません。それでも、「○X君は化け物だ」と言ってみたい気持ちは、だれにもある。それで、中世の魔女狩りがあり、かつてこの国にもあったし、今でも世界の多くの国でおこなわれている全体主義がある。いまでも、どこでも、小さな職場や学校の小グループでは、しばしばこのような社会現象が起きている。

しかし、こういう場合、「化け物」という言葉の意味は、何なのでしょうか?

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経験できないものについて

2008年09月28日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

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リンゴなど、目に見える物質についての場合は、このように、言葉は、その物質を見たり触ったりした身体的な経験と連結して記憶されます。ところが、身体で経験できないものについても、私たちは言葉で語る。

たとえば話し手が「化け物」と言ったときは、どうなるのでしょうか? 化け物は、目に見えないし、手で触ることもできない。こういう場合、話し手と聞き手の脳の内部状態は、同じになるでしょうか? 

たぶん、だいぶ違うでしょう。

ある人は、SF映画で見たエイリアンの不気味な姿を思い浮かべる。ある人は、四谷怪談のことか、と思う。あるいは、子供のころ、怖い思いをした遊園地のお化け屋敷を思い出す。また、ある人は、アニメのキャラクターを思い出す。

それでも、問題なく会話は続いていくことが多い。いや、むしろ、ふつうの会話などは、そういう場合が多い。イメージが食い違ったままでも、「化け物」について冗談を言い合ったり、意見を交わしたり、脅しあったり、感情表現を見せ合ったり、すれば、それはそれで立派に社交がなりたつからです。

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「り・ん・ご」という条件反射

2008年09月27日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

言語は、(拙稿の見解では)このように集団的運動共鳴が起こった身体運動‐感覚受容シミュレーションに恣意的な音節列記号が連結することで作られる。「リンゴ」という語は、実際のリンゴに関する経験から学習された身体運動‐感覚受容シミュレーションに、音声発音運動の学習により条件反射として結びついた「り・ん・ご」という音節列が組み合わされた神経ネットワークの内部状態(連結部の可塑性)として脳内に記憶されている。「リンゴ」という発音を聞いたとき、あるいは字を読んだとき、私たちの脳内では、その神経ネットワークの連結構造を、学習時とは逆方向にたぐって引き出されるリンゴの身体運動‐感覚受容シミュレーションが浮かび上がる。そのとき、私たちの身体は、自動的に(条件反射として)、リンゴの形や色のイメージを思い浮かべたり、リンゴを食べたくなったりする。

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言語が形成される条件

2008年09月26日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

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いずれにせよ、リンゴという果物を見たり触ったり食べたりした経験から学習された、リンゴに関する身体運動‐感覚受容シミュレーションは、記憶として脳内に保存される。別の機会に、別のリンゴを見たり、食べたり、思い出したりするときに、そのシミュレーションが記憶から呼び出される。呼び出されたそのシミュレーションは、私たちの筋肉や唾液腺を動かしたり、あるいは動かさずに、脳内で、それらへの運動指令信号の準備だけをしたり、イメージを浮かべたり、関連する物事を連想させたり、する。

私たちが言葉を覚え始める幼児のころに、リンゴという果物を見たり触ったり食べたりするとき、ふつう、その経験を仲間の人間と共有する。自分ひとりだけでリンゴを見たり触ったり食べたりするが、自分以外の他人がリンゴを見たり触ったり食べたりするところを見たことがない、という人は、まずいないでしょう? 幼児が、その物質をリンゴだと思うようになるときは、必ずママとかだれかが一緒にいて、リンゴを一緒に見たり触ったり食べたりしていたはずです。つまり、リンゴに関する経験の身体運動‐感覚受容シミュレーションは、ふつう、人間仲間と、集団的に、リンゴについての運動共鳴を起こす経験を含んでいる。こういう場合には、(拙稿の見解では)言語が形成される条件が整っている。実際、そうして幼児の脳内にリンゴに関する集団的運動共鳴のシミュレーションが作られた後で、ママなど周りの人間がリンゴを一緒に見たり触ったり食べたりするその運動に伴って頻繁に発声する音声「り・ん・ご」が条件反射として連結して、「リンゴ」という語ができる。

拝読ブログ:同じ語族の言語を学ぶ経験 

拝読ブログ言語の規範と言う事(2)

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