哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

戦いが生きがい

2014年06月30日 | xxx9神仏を信じない人々

まず、現実に徹して人生のゲームを勝ち抜いていこうとする少数のエリートたちは、無宗教のままで問題なさそうです。この人たちは毎日仕事あるいは社会的地位の維持向上のために戦略を練り作戦を実行して、成功したり失敗したりしながら力いっぱい人生を戦い抜いていきます。毎日の競争、戦いが生きがいであり自己肯定の拠り所となっています。

拝読ブログ:意識の高い学士ブログ : やりがいのある仕事を見つけたい人へ贈る文章

拝読ブログ:今からの日本 働く目的が変化している? - 旅行大好き - Yahoo!ブログ

コメント

現代社会は持続可能か

2014年06月29日 | xxx9神仏を信じない人々

Seurat_asnieres005 一応そうであるとして、次の問題は、この先、将来、人々がますます無宗教となっていくとすれば、それで現代社会は長期的に発展できるのか、いや発展しないまでも持続可能であるのか、という疑問がでてくるということでしょう。神仏を信じないという傾向がこの先も強くなるばかりであるとすれば、次の世代、さらに次の次の世代では、人々の心持ちがどうなっていくのか、という問題です。

拝読ブログ:化石燃料文明(4) - だいずせんせいの持続性学入門

拝読ブログ:縮小の時代 縮小社会とは何か (その1) 最小限の必要条件

コメント

現代人は精神的に不幸?

2014年06月28日 | xxx9神仏を信じない人々

さて、現代社会においては、そういうことであるとすれば、神仏を信じない人々が多くなり、宗教を必要としない社会構造がすでに実現している、といえるようです。実際、現代社会は宗教がなくても維持されるのでしょうか?

そのような現代社会に住む個々の現代人も、神仏を信じないままで毎日を過ごし人生を終わっていく人が多くなっていくことになります。もしかすると大事なことが分からないまま死んでいくことになる個々の現代人は、残念な人生だとか、可愛そうだとか、精神的に不幸だ、ということになる。

しかし個々人に関してはそういえるかもしれないけれども、社会全体としてはうまく現状を維持していくことができる。それが現代社会である、といえるようです。

拝読ブログ:ついに3人が再会! 胃に穴が空くまでの戦い。:映画「向日葵の丘・1983年夏」監督日記:So-netブログ

拝読ブログ:6月24日(火) みずすましの呟き/ウェブリブログ

コメント

歴史のパラドックス

2014年06月27日 | xxx9神仏を信じない人々

Grand_jatte_study ちなみに、そのような現代の科学と経済を育んだ近代文明は、その源流に遡れば、中世の宗教的環境から生み出されたものです。そうであれば、宗教は中世におけるその大いなる発展の結果、はからずも、自らを必要としない現代文明を作り出してしまった、という歴史のパラドックスを見ることができます。

拝読ブログ:哲学と歴史の関係いろいろ ハッキング (2002=2012) - えめばら園

拝読ブログ:ある種のパラドックスが起きる理由の解説 - ONLY ONE DIRECTION HOME 2012→2014

コメント

科学と経済、現代の常識

2014年06月26日 | xxx9神仏を信じない人々

こういう現代人は実は多い。自分は無宗教である、とあからさまに言うのは気が引けるけれども、実は神仏に頼って生きているわけではない、ということでしょう。このような人々は現代の科学と経済を下敷きにした現代の常識の上で安心して社会生活をいとなんでいます。周りの仲間、知り合いも皆そうです。その生活感覚から、このような考えを持っているのでしょう。

拝読ブログ:「島耕作」作者の仕事術: モナド日記

拝読ブログ:理系おじさんの社会学 プロパガンダの犠牲者(フランス革命)

コメント