まず、現実に徹して人生のゲームを勝ち抜いていこうとする少数のエリートたちは、無宗教のままで問題なさそうです。この人たちは毎日仕事あるいは社会的地位の維持向上のために戦略を練り作戦を実行して、成功したり失敗したりしながら力いっぱい人生を戦い抜いていきます。毎日の競争、戦いが生きがいであり自己肯定の拠り所となっています。
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一応そうであるとして、次の問題は、この先、将来、人々がますます無宗教となっていくとすれば、それで現代社会は長期的に発展できるのか、いや発展しないまでも持続可能であるのか、という疑問がでてくるということでしょう。神仏を信じないという傾向がこの先も強くなるばかりであるとすれば、次の世代、さらに次の次の世代では、人々の心持ちがどうなっていくのか、という問題です。
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さて、現代社会においては、そういうことであるとすれば、神仏を信じない人々が多くなり、宗教を必要としない社会構造がすでに実現している、といえるようです。実際、現代社会は宗教がなくても維持されるのでしょうか?
そのような現代社会に住む個々の現代人も、神仏を信じないままで毎日を過ごし人生を終わっていく人が多くなっていくことになります。もしかすると大事なことが分からないまま死んでいくことになる個々の現代人は、残念な人生だとか、可愛そうだとか、精神的に不幸だ、ということになる。
しかし個々人に関してはそういえるかもしれないけれども、社会全体としてはうまく現状を維持していくことができる。それが現代社会である、といえるようです。
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ちなみに、そのような現代の科学と経済を育んだ近代文明は、その源流に遡れば、中世の宗教的環境から生み出されたものです。そうであれば、宗教は中世におけるその大いなる発展の結果、はからずも、自らを必要としない現代文明を作り出してしまった、という歴史のパラドックスを見ることができます。
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こういう現代人は実は多い。自分は無宗教である、とあからさまに言うのは気が引けるけれども、実は神仏に頼って生きているわけではない、ということでしょう。このような人々は現代の科学と経済を下敷きにした現代の常識の上で安心して社会生活をいとなんでいます。周りの仲間、知り合いも皆そうです。その生活感覚から、このような考えを持っているのでしょう。
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