哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自分・ごっこ  end

2016年10月01日 | yyy53自分・ごっこ


ちなみに、この入れ子になっている世界の構造は自覚できませんので、ごっこが自分の中でどう働くかも、私たちは自覚しにくい。内省によって自分というものを自覚しようとしてもややこしくて自覚することが嫌になります。そういう入れ子のような認知しにくい構造は自覚しないほうが社会生活はうまくいきます。
自分ごっこという表現は詩的表現としてはおもしろいところがありますが、実用上は使いにくい。混乱の危険がある修辞法です。本章のタイトルとして「自分・ごっこ」と中ポツを打ったのは、混ぜるな危険、というニュアンスです。「自分」も「ごっこ」も哲学要素を含み安易に取り扱うと危険な観念ですから注意喚起の趣旨で本章を書いてみました。■








(53 自分・ごっこ end)




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身体に埋め込まれている現実世界

2016年09月30日 | yyy53自分・ごっこ


身体の外にある現実に憑依しそれを内部に取り込む子供のごっこ遊びと違って、大人の現実人生はすでに身体の内部に埋め込まれてしまった現実世界の内部で動いていきます。
正確に言えば、身体の内部に埋め込まれている現実世界の内部にある自分の身体を自分と思うことで動いていきます(拙稿24章「世界の構造と起源」)。








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真正のごっこではない

2016年09月29日 | yyy53自分・ごっこ


これを、自分というごっこ遊びを始める、ということもできますが、この自分ごっこは一生続きます。これは真正のごっこではない、現実人生ということになります。現実人生をごっこといってしまうと、先の例に挙げたサラリーマンごっこと同じような修辞法になってしまいます。これは子供がするごっこ遊びではありません。








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自分の肉体を自分と思う

2016年09月28日 | yyy53自分・ごっこ


ごっこ遊びを卒業する小学校低学年ころから、子供は他人の目を意識するようになる。自意識が芽生える。これは、他人と共有する現実世界の中にある自分の肉体を自分と思う(自分に憑依する)ようになるということでしょう(拙稿12章「私はなぜあるのか」)。








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人生最優先の課題

2016年09月27日 | yyy53自分・ごっこ


真実でないものを現実と思い込んでしまうと、場合によっては、致命的な失敗に陥ることもあるでしょう。しかしそのリスクを冒してでも、とにかく今周りにいる皆と通じ合うことが、人間の生活上、最優先の課題です。そのような生活に適するように人類は進化したはずです。








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