これは、どうも、こういうことではないか?
まず、目に見えるこの客観的な物質世界(現実1)には、強烈な存在感があって、この現実は存在するとしか思えない。私たちはこの客観的世界の中で、会話し、生活し、仕事し、科学し、あるいは哲学論文を著述する。しかしまた同時に、身体で直接感じられる快不快など感性の現実(現実2)にも、さらに強い存在感があって、こちらもとても否定できるような気がしない。現実とはいったい何なのか、という哲学的な問題を考える前に、この、私たちが身体で感じる、現実感、存在感という感覚のいろいろな現れ方は何なのか? まず、この辺を調べる必要がありそうです。
これらの現実感は(拙稿の見解では)一種の感情です。感情は対象を認知することで感じ取るもの、というよりも、対象に対応して無意識のうちに身体が反応することから感じ取れる感覚変化自体を感情というべきでしょう(一八八四年 ウイリアム・ジェームス『感情とは何か?』)。
拝読ブログ:何故これほどまでにリアリティを求めるのでしょう。