哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

現実感、存在感という感覚

2009年02月28日 | x9私はここにいる

これは、どうも、こういうことではないか? 

まず、目に見えるこの客観的な物質世界(現実1)には、強烈な存在感があって、この現実は存在するとしか思えない。私たちはこの客観的世界の中で、会話し、生活し、仕事し、科学し、あるいは哲学論文を著述する。しかしまた同時に、身体で直接感じられる快不快など感性の現実(現実2)にも、さらに強い存在感があって、こちらもとても否定できるような気がしない。現実とはいったい何なのか、という哲学的な問題を考える前に、この、私たちが身体で感じる、現実感、存在感という感覚のいろいろな現れ方は何なのか? まず、この辺を調べる必要がありそうです。

これらの現実感は(拙稿の見解では)一種の感情です。感情は対象を認知することで感じ取るもの、というよりも、対象に対応して無意識のうちに身体が反応することから感じ取れる感覚変化自体を感情というべきでしょう(一八八四年 ウイリアム・ジェームス感情とは何か?

拝読ブログ:何故これほどまでにリアリティを求めるのでしょう。

拝読ブログ:メタバースとバーチャルリアリティとサイバースペースの違い

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主観に客観を埋め込む

2009年02月27日 | x9私はここにいる

Barbiergeorges16

主観を客観に還元しようとする科学者のこのような見解とは逆に、哲学者の間では、主観的世界(現実2)の中に客観的物質世界(現実1)を埋め込もうとした議論も多くあったが(古くは一七三九年 デイヴィッド・ヒューム人性論既出、現代哲学では一九二七年 バートランド・ラッセル「物質の分析」など)、これも完成していない。ふつうの人は、目の前のここにある現実の世界が客観的に存在するものでないなどと、思えるわけがないのです。

現実1と現実2と(一応、現実3はさておくとしても)二つもの現実があるということは、たしかにおかしい。それにもかかわらず、どちらかで統一することもできない。困ったことです。

拝読ブログ:ootuka’

拝読ブログ:人の人生について。

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衣を代えた神秘主義

2009年02月26日 | x9私はここにいる

現代の心理学者の中には、こういう問題が、二十一世紀の心理学のメインテーマになると提唱する人たちもいる(たとえば二〇〇七年 エドワード・ケリー、エミリー・ケリー他『還元できない心:二十一世紀の心理学に向けて』)。しかし、主観的な心の世界(現実2)が客観的な物質科学の世界(現実1)の現象として説明できないように見える特殊な例(記憶の謎、幻想、自動運動、臨死経験、天才の謎など)を羅列して、そこから新たな科学の理論化を試みても、(拙稿の見解では)衣を代えた神秘主義や霊魂論の混乱に逆戻りするだけでしょう。

拝読ブログ: 疑似科学と科学の哲学

もっともバランスの取れた科学哲学入門書

拝読ブログ:第2章(6)西薗 哲夫-6 - 【ネット小説】FREISEIN(フライザイン)~死に対して無碍

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脳細胞すべて

2009年02月25日 | x9私はここにいる

Barbiergeorges15

ビデオに写っている私の姿を指差して「ほら、これが君だ」といわれれば、ああ、そうですか、と思う。けれども、「ここに写っているものが君のすべてだ」といわれると、それは違うでしょう、と思う。またさらに、(未来の科学者が)私の脳細胞すべてのリアルタイム三次元顕微鏡画像を見せてくれて、「ほら、これが、今君が感じていることだ」といわれても、やはり「ああ、そうですかね」と思うだけでしょう。

たとえば、科学の見解では「私はここにいる」という言葉は必要ないことになる。言葉を使う者はすべて「私はここにいる」ということになるに決まっているから、こんなことをいう必要はない。それにもかかわらず、本章の最初に述べたように、私たちは死に際にこの言葉を発する極悪人の気持ちが分かる。つまり、科学者の見解だけでは私たちの気持ちを表すことはできない。

拝読ブログ:観察。

拝読ブログ:非言語的コミュニケーション

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科学表現の限界

2009年02月24日 | x9私はここにいる

たとえば、私たちの主観的な感情や思考の動きも、(拙稿の見解によれば)スポーツのような身体運動と同じように、経験の学習によってシミュレーション記憶が作られ、条件反射によって呼び出され、仮想運動として脳内で(あるいは身体各部を使って)シミュレーションされる。結局、私たちの主観的世界(現実2)は(拙稿の見解では)、身体運動による外界からの感覚信号の変化と体性感覚信号の変化に加えて、シミュレーションによる仮想運動によって引き起こされる自律神経系や平滑筋や体性感覚の活動信号の変化が組み合わされて、作られている。

このような脳神経系の活動に関する科学的理論は、たしかに客観的物質世界(現実1)に主観的世界(現実2)をみごとに埋め込んでいくように見える。また、最近提唱されている社会脳神経科学のような境界科学は、脳神経系という物質的現実(現実1)の中に社会的現実(現実3)をうまく埋め込んでいくと見なせるかもしれない。しかし、客観的物質世界(現実1)の一部分である脳の構造と機能を客観的に詳述していくことで完成するだろう自然科学あるいは社会科学の表現形式では、私たちが体感する自己中心感覚(現実2)あるいは主観的に体感する自他の社会関係(現実3)そのものを言い表すことはできない。

拝読ブログ:生物学・科学に関する雑感。: Vector and parameters for targeted transgenic RNA interference in Drosophila melanogaster.

拝読ブログ:「理性の限界」を読んだので

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