宗教の経典の非合理性を指摘した者は破門されたり、火あぶりになったりする。逆に、科学の学説が間違っているところを見つければ、それは指摘した科学者の手柄になる。だから、世界中の科学者が競って、互いの科学の怪しいところを実験で暴こうとしている。単なる言い伝えを排除し、間違った理論を暴きだして実験で反証する。こういう仕事が科学だ、ということになっています。
ヨーロッパでは、ルネッサンスの時代から、こういう科学の伝統が積み重ねられてきた。百数十年ほど前から、欧米を中心に、しっかりしたアカデミー、大学、学会など科学者のコミュニティが形成されてきました。そこで論文誌を中心に、実験と観察のデータを徹底的に検証された理論として、近代科学から現代科学が発展してきました。そういうものはかなりの信頼性があり、存在感があります。
西洋の近代科学から発展した現代科学がここまで成功した秘訣は、何でしょうか? 筆者の考えでは、それは観察の客観性を徹底したこと。つまり人間どうしの相互理解を基礎にすえた上で、観察から主観を取り除き、だれもが理解できる客観性だけを残し、相互理解に伴うあいまいさを徹底的に排除していったことにあります。キリスト教をスポンサーとする中世の神学は厳密な論理学で武装していました。その隙を突いて人々を説得していかなくてはならなかった西洋科学は、論理に対して論理で対抗する。つまり、客観性を徹底的に磨き上げ、理論からあいまいさを排除していったわけですね。
人間が相互理解できるものから、あいまいなものを排除していくとどうなるか? まず、感情のようなものは、真っ先に捨てる。義理も人情も捨てて、非情に徹します。それから、大体の感じとか、すごいとか、かわいいとか、クールとかウェットとか、空気を読むとか、フィーリングだけの話も無し。だれが測っても同じ数値になるものだけを議論の対象にします。つまり、客観的に測定可能なものだけにするのです。構成物は徹底的に要素に還元する。原子、電子、素粒子までに分解します。そうすると結局は、時間と空間の中での要素粒子の位置、質量、運動量、エネルギー、電荷、という数量で表現できるものだけが存在する、というところに行き着く。そういうものを書き表すのに一番あいまいさが少ない言語、つまり数学、で表現するわけです。それも、できる限りシンプルな方程式で書き表す。これが現代科学です。
拝読サイト:年の瀬のスターバックスにて
拝読サイト:『有終の美ー大晦日』ー『英語でことわざシリーズ』