テレビに国会議事堂が写る。テレビカメラがズームアップする。私たちは自分が国会議事堂を注目しているような気になってしまう。自分が「国会議事堂がね」と言っているような気になってしまうのです。「いま国会議事堂に注目しているのはテレビのカメラマンであって私ではない」などと、むきになって思う人はあまりいない。
こういう場合と、実際に自分がカメラを構えて国会議事堂をズームアップしているときとでは、どう違うのか? あまり違わないのではないか。というよりも、拙稿の見解によれば、全然違いません。私たちはテレビカメラに運動共鳴を起こしている。国会議事堂に注目しているのは、テレビカメラであると同時に、私の身体です。
こういう仕組みが私たちの身体に備わっているから、私たちはテレビを楽しむことができる。テレビばかりでなく、私たちは同じこの仕組みで、映画も楽しめるし、演劇も、ミュージカルも、ニュースも、人生も楽しめるのです。
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