確かに私たちは、自分の身体というものがなくなる、ということに恐怖を伴った強い神秘感を感じます。自分がなくなったら自分が感じていることはどうなるのか。今大事にしている人や物たちをどうにもできなくなる。それらがどうなってしまうのか、まったく分からなくなる。毎日の生活の土台になっている自分というものの存在感が揺らぐ。いつも頼りにしている自分の現実感がぐらぐらになってしまいますね。そういうことが不安あるいは恐怖を伴って強い神秘感を引き起こす。人間は、未知の不可解なものに対して神秘感を持つようにできている。そのような私たち人間にとって、自分の死は、最大の神秘感をもたらすものです。
しかし(拙稿の見解では)神秘感というものは、たいてい、あやしいところがある。実生活に役に立つ効果も持っているが、一方ではいかがわしい効果も持っている。神秘感は、もともと、考えても分からないものについて人間の思考を停止させ、そういうものは警戒して近づかないようにする仕組みです。脳のこの仕組みは、危険を回避し、同時に無駄な悩みを保留にして毎日の実際的な問題に取り組ませるという有益な効果を持っている。その効果が人間の生存に有益だったから人類に備わった感覚です。しかし、人間は神秘的なものについて語り合うこともする。そうするうちに変な結論に導かれてしまうことがあります。仲間がみんな同じ神秘感を共有する場合が一番あぶない。そういうときにつくられる結論は間違いが多いのですね。そうだとすれば、もしかすると、今話題にしている死に関する神秘感も、あやしいものかもしれない。私たちを間違った結論に導いているかもしれない。まあ、ここでは、そう疑って、話を進めてみましょう。
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