哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

科学の成功を羨む哲学

2007年02月28日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

そのあたりが西洋哲学の始まりです。宗教を普及し人民を統治するために、言語技術者たちは哲学によって教育され、聖職者になり、役人になり、学者になり、教育者になり、社会の指導階級になって法律や制度を作っていきました。その人たちは「命」、「心」、「自分」、「利害得失」というようなものの存在感をしっかり感じることができました。自分の意思、自分の人生、というものをしっかりと見据えてそれらを間違いない論理で組み上げ、自分の社会的役割を意識し、ステータスを意識し、冷静に利害得失を計算し、自信をもって着々と仕事をこなす模範的な人々だったのです。

そういう人たちの仕事の一つとして科学が立ち上がり、目に見えて手で触れる物質についての理論体系を作ることに成功しました。これは大成功でした。西洋人たちは科学を応用して、極度にエネルギー効率がよい、大きくて複雑で、あるいは極度に精密な、各種の機械装置を作り、地球を周回し、世界中にキリスト教やスペイン語や英語や銃火器伝染病を広めました。

哲学者たちは、科学の大成功を羨みました。ところが哲学は、科学のように、明らかなところだけを語ってすますわけにはいきません。人々は哲学に、人間の経験する深遠な神秘を説明する理論を期待しているのです。その期待に応えてこそ、哲学はもっとも高尚な学問としての地位を確保できるわけです。最高の言語技術者である哲学者たちに、それが期待されるのです。人々は天才的な頭脳を持った哲学者が現れて、この世の深遠な真理を解明してくれることを期待するのです。 

しかしそれは結局、無理なことを期待しているわけです。人間が自分の感じるものの全体を理解するための理論を言葉で語ろうとすると、天才であろうとなかろうと、結局は間違いを語るしかなくなるのです。

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言語技術者たち

2007年02月27日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

言葉を使って世界を説明する専門家が現れ、支配階級に認められて特権的な職業集団を作るようになります。そういう言語技術のプロ(拙稿では言語技術者という)たちは、次々と精緻な理論を組み上げて、権威を持って神を語り、人間のあり方を語り、心の理を語り、倫理を作り、法律を作り、科学を作り、哲学を書くようになったのでしょう。

特に西洋文明の中に現れた言語技術者たちは論理をつめ修辞法を洗練させ、驚くべき明解さをもって世界を語りました。ヨーロッパの多様な民族を相手にギリシア・ローマ文明とキリスト教を浸透させるために、相当優秀な言語技術者が抜擢されたのでしょう。ローマ国境周辺の蛮族たちは、文明が語る理論(法律、教義、農工技術)の緻密さに驚き恐れて、戦わずして隷従していったのです。

優れた言語技術者の集団は、人間関係と人間の感情を言葉で明瞭に表し、社会的な関係を言葉ではっきり言い分けていきます。彼らは社会の指導者階級となり、学校を作り、教育制度を作り、啓蒙を行い、言葉の意味がはっきり誰にでも伝わっていくような社会を作っていったのです。言語技術者の子供たちは、学校で毎日言葉の使い方を習います。同時に世界の秩序を学んでいく。先生は偉い。教科書に書かれている言葉を作った学者は、もっと偉い。そういう権威のある立派な言葉を学習します。

アニミズムから発した感情であろうと、起源が明らかでない伝承からの抽象的な観念であろうと、明快な言葉を使って網の目のように論理の体系を張り巡らし、権威を持って若い頭脳に学習させていけばバーチャルな意味のネットワーク、つまり錯覚の使い方と文脈の語り方の体系が立派にできあがっていきます。それは論理的であり、権威があり、信頼すべきものです。その中心に哲学があり、学者はそれを尊敬し、人々は学者を尊敬しました。

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無理やりに理論(素朴心理学、素朴運命学etc.)

2007年02月26日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

Hatena29 原始時代、狩猟採集の時代は単純で良かったに違いありません。地球は平らで、毎朝、太陽が東の果ての地下から昇ってくるという哲学を信じていれば、十分実用的だったでしょう。太陽の影を測って、時計も暦もきちんと作ることができたのです。

しかし、それでは人工衛星は飛ばせません。

言語が発達し、農業が完成し、文明社会が発展すると、見通さなければならない世界が大きく複雑になってきます。知識、経験が追いつかなくなります。複雑な人間関係や環境変化の法則が掴みにくい状況になります。

それでも分らないなりに、人間は、仲間どうしで共感できるいろいろな錯覚を見つけ出し、それらを組み合わせて物語を作り、世界を理解し、自分たちの人生を運転していきました。そのために人間は世界全体、自分自身、命、心、魂、死、幸福、運命というような不思議な存在、そしてそれらの変化を支配しているかのように思える大きな神秘的存在などについて、実は何も分からないにもかかわらず、無理やりいろいろな理論素朴心理学、素朴運命学、素朴医学、哲学など)を作り上げ、それを集団知識として共有するようになったのです。

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真理を語るかどうかではなく

2007年02月25日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

そういう哲学を持った人々の集団は、死者の怨念を恐れて裏切りや暗殺を控えるようになるでしょうから、仲間どうしの信頼感は増し集団の団結が高まって繁栄するでしょう。「魂はある」と感じるような脳の機能を持った集団の人口は増え、その脳機能を作るDNA配列(ゲノム)を子孫に伝え、そういう哲学を伝える文化を子弟の教育によって伝承していきます。

そうしてこの世に魂というものが実際にあってもなくても、「魂がある」と感じる人間集団の数は増えていくのです。「魂がある」と教える宗教や哲学は、これまで有史以来、ずっと多くの人々を導き、生活を豊かにし、人口を増やすという実用性を持っていました。この哲学、あるいはそれが表現する魂、のように目に見えない存在をだれもが感じることによって犯罪や裏切りは抑止され、社会は安定して繁栄し、人々は安心して生活し、その結果、経済や技術が発展したのです。哲学は実用的なものでした。哲学は、真理を語るかどうかではなくて、真理を語るとされることによって実用的に生活に役立ったのです。

しかし現代になって、状況は違ってきたのではないでしょうか?

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魂の怨念を怖れて鎮魂祭

2007年02月24日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

大昔、人類が暮らしていた自然の中には謎の現象、神秘の体験がけっこうあったはずです。それから、もののけ、精霊、天狗などが作られました。「私はそれを見た。それはいるのだ! 信じろ! それは本当にいるんだ!」と真剣な顔で言う人がいつも何人もいたでしょう。「その通り!」と低い声で叫んで皆を感動させる長老がいたでしょう。錯覚はそうして集団的に作られ維持されてきたのです。

人間は人の心について考える。人の顔を見ると、いつもその顔の内側に心を感じる。顔を見ないときもその心を感じる。だからその人がそこにいてもいなくても、その人の心はどこかにある。その人が死んでしまってもどこかにあるのではないか、と思える。それがです。だから「魂はある」と長老が言い、皆が互いにそう言い合っていればその集団の知識としては、それがあるということになります。それで怨念を持って死んでいった人の魂、あるいは「もののけ」、が生きている自分たちに復讐しないように、に祭って鎮魂祭をしたりするのです。

拝読ブログ:ひとまず走れ、慎重に(爆)

拝読ブログ:鬼ともののけの文化史」笹間良彦

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