哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

物語はなぜあるのか end

2015年04月03日 | yyy44物語はなぜあるのか


四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云うのに、果して見知らぬ爺じいさんが小さい荷物を持って、宮重方に著いて、すぐに隠居所に這入った。久右衛門は胡麻塩頭をしているのに、この爺いさんは髪が真白である。それでも腰などは少しも曲がっていない。結構な拵の両刀を挿した姿がなかなか立派である。どう見ても田舎者らしくはない。
爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆あさんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷に結っていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。それまでは久右衛門方の勝手から膳を運んでいたのに、婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。(一九一五年 森鴎外「じいさんばあさん」)■











(44 物語はなぜあるのか end)



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安物買いの銭失い

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蛇足

2015年04月02日 | yyy44物語はなぜあるのか




蛇足として、筆者の好きな物語を挙げて本章を終えてみます。百年前に書かれた短編の書き出しです。

文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町の、今歩兵第三聯隊の兵営になっている地所の南隣で、三河国奥殿の領主松平左七郎乗羨と云う大名の邸の中に、大工が這入って小さい明家を修復している。近所のものが誰の住まいになるのだと云って聞けば、松平の家中の士で、宮重久右衛門と云う人が隠居所を拵らえるのだと云うことである。なる程宮重の家の離座敷と云っても好いような明家で、只台所だけが、小さいながらに、別に出来ていたのである。近所のものが、そんなら久右衛門さんが隠居しなさるのだろうかと云って聞けば、そうではないそうである。田舎にいた久右衛門さんの兄きが出て来て這入るのだと云うことである。


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本当にあった話

2015年04月01日 | yyy44物語はなぜあるのか

語る人が懸命に語り、それが本当にあった話のように思えるとき、物語は魅力を増す。そう感じ取るように私たちの身体ができているといえます。




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映画『アメリカン・スナイパー』を観た後で原作を読んでみて




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コンピュータが作文

2015年03月31日 | yyy44物語はなぜあるのか

しかしその記事がまったくのフィクションでしかもコンピュータが自動的に作文したものだと分かった場合、その物語は急に魅力を失うはずです。


拝読ブログ:文章読本の名著90冊から抽出した『究極の文章術』と、わたしが強力にお薦めする2冊

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仕事などでコンピュータを日常的に扱う人に見られる失調症を総称して何というでしょう?)

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人が語る物語

2015年03月30日 | yyy44物語はなぜあるのか

私たちはそのように共有できる物語に引き込まれる。実際はその物語を共有する仲間がいない場合でも、物語そのものに引き込まれるような身体になっています。それでもなるべく共有されそうな物語が魅力を増す。人が語る物語。語る人の表情が見える物語。演劇、アニメ、印刷物。記事。


拝読ブログ:最善を尽くした二人の物語~『博士と彼女のセオリー』

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グローバル人材のお手本は日本にいた、『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』を読む(高口)




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