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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

世の中の理論モデル

2007年09月05日 | x欲望はなぜあるのか

実用的ということと、基本原理が説明できるということとは、違う。だれもが日常的に使っている世の中の実用的な知識というものは、適当によく当る推測を作れればよいのであって、なにも基本原理が説明できる必要はない。たとえば、潮の満ち引きの時間と量の関係は、ニュートン力学以前の時代から正確に予測できていて、河川管理や港湾作業などに使われていました。ニュートン力学が見事にその基本原理(月の引力の影響)を説明した後でも、予測精度はすこしも上がらなかった(二〇〇〇年 ロバート・クミンズ{どう働くか?}対{法則は何か?}』)。私たち生活人が知りたいのは、実用的な精度の良い予測方法であって、基本原理の説明ではない。そのため、実用的な程度に予測精度がよい理論モデルを手に入れると、それが錯覚にもとづく間違ったものであっても、私たちはもうそれで、基本原理が分かっているような気になってしまうのです。

物事の動きや変化に関するこういう錯覚は、人間の生存に有利です。運動変化する物体の内部に力や欲望や意思がある、という理論モデルを作ってそれを使うと、世の中の物質や動物や他人の行動を、だいたいはうまく予測できます。それらの大雑把な法則を学習すれば、実用的な立ち居振る舞い、人付き合い、処世術、政治、経済から、民間療法、実用工学、実用物理学や実用心理学、実用社会学、など生活に必要なすべてがつくれる。自分の周りの人間がこれからどう動いていくか、の予測モデルが作れるわけです。

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脳のベイズネットワーク

2007年09月04日 | x欲望はなぜあるのか

Bougereauvenus この世界は物質の法則(自然法則)で動いている。物質の法則は、まず、物理学の研究対象です。物質現象の単位となる一つ一つの現象は、ニュートン力学量子力学相対性原理など、比較的に簡単な方程式で表現できます。しかし、私たちが日常的に感知する物質は、生物、鉱物、気象などの巨視的な現象です。これらは無数の微視的な粒子の相互作用によってできている現象ばかりですから、個々の粒子間の作用を逐一、詳細に記述していくと、あっという間に、数億、数兆の変数を持った連立方程式になる。とても「Aが起こるとBが起こる」というような単純な法則の羅列では表現できない。超巨大なスーパーコンピュータでも、一分後の変化を予測する計算に何時間もかかってしまう。しかし、人間が,身の回りの現象を効率よく記憶しそれを想起して、これからの変化をすばやく予測するには、正確でなくても良いから現実的に感じることができる錯覚の法則があれば良いのです。

「頬に傷跡がある男は強暴だ」とか「傘を持って歩いている人が多いときは、もうすぐ雨が降る」というように世界の法則を覚えておけば、うまくいく。どれも確定的な法則ではなくて、確率的な法則です。まあ、よく当たる、という程度の法則です。実人生では、「だいたいはそうなるだろう」と、錯覚でもよいから、いつも感知できるような覚えやすい単純な法則として捉えることが実用的です。実際、子供は五歳くらいから、「こういう場合、こうなる」といういわゆる因果法則(実用理論)の形で知識をためていくようになる。発達心理学の研究でこの過程を記録していったところ、条件付確率の法則(ベイズネットワーク)の通りに学習していくことが分かりました(二〇〇四年 アリソン・ゴプニック、ローラ・シュルツ『幼児期における理論形成のメカニズム』)。つまり、人間の脳には、経験から法則を推定する最適推算機構が、生まれつきインストールされているらしい。人間の脳は、実用に最適な設計に進化しているわけです。

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拝読ブログ:突然の雨

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実用的な脳の錯覚機構

2007年09月03日 | x欲望はなぜあるのか

動物や人間の内部にあるように感じられる力や欲望や意思といわれるものは、視覚など感覚器官に入る信号から直接感知できるのではなく、感覚信号に励起されるいろいろな神経信号が脳の中を駆け巡って作られる合成された運動イメージに自分の身体の運動衝動が共鳴することで起こる複合的な知覚です。直接目に見えるものではないのに、目で見えるがごとき強い存在感を持つ。こういうものは、一種の錯覚というべきでしょう。

こういう力、あるいはああいう欲望が起こると、その物体ないし動物、はこういう運動を起こす。Aが起こるといつもBが起こる。物事がそう見える場合、AがBを起こす、と思いたくなります。Aを原因といいBを結果という。人間は、こういうふうに世界の法則を学習していきます。もっとも,昔の哲学者はこの素朴論法の危険を見抜いていて、西洋古典哲学でも、「ポストホック、エルゴ、プロプテルホック(それの後だからそれに因る、というラテン語)」という後付論法の誤謬が教えられていました。

カエルが鳴くと雨になる。カエルが鳴いた後で雨が降る。だからカエルの鳴き声に促されて空は、雨を降らしたい、という欲望を持つのだ。こう理解すると、これは覚えやすい。実際はカエルが雨を降らしているのではない、ということを現代人は知っている。実際の物理現象はもっとずっと複雑ですが、こういう法則にして学習しておけば、実用上便利です。A→B。これはこの世界のいろいろ重要な現象を実用的な法則として記憶しておくために便利な論法です。人類が生き抜いてきた世界ではだいたいそうだったから、この後付論法が、人類の脳の機能として発達した。これは、そういう実用的な脳の錯覚機構です。

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人間の内部に起こる何か

2007年09月02日 | x欲望はなぜあるのか

Bougereaunymphaea 石ころなど無生物が動く場合は、何かに押されるか引かれるかです。何かに接触している場合は、それに押されているらしいと分かる。地面に向かって加速しているときは、単に落ちている、あるいは、地球の重力に引かれている、と感じます。

私たちが、無生物ではなくて動物や人間が動く場面を見たとすると、それらが何かに押されたり引かれたりして動いている、とは感じずに、自発的に運動している、と感じる。人間の脳は、無生物に働く力を感じるのと同じように直感で、動物の内部に発生する力のような動きの原因、を感じます。自分の身体が動くときは、筋肉が緊張する内部感覚を感じる。運動を開始する動物や他人を見ると、運動の共鳴が起こって自分の筋肉が緊張するかのような運動感覚が感じられる。その運動の原因になっている、動物や人間の内部に起こっているらしい何かを感じて、人間はそれを欲望とか意思とか意図とか言うようになったのでしょう。

近代哲学の開祖といわれる哲学者は、さすがにこのことを見抜いていて、原因とか力とか意思とかいわれるものは、それがあると思われている物体や人物に備わっているのではなく観察者の中にある、と言いました(一七三九年 デイヴィッド・ヒューム人性論』既出)。その後、ニュートン力学や近代心理学などが広まったためと思われますが、近代から現代の哲学まで、この方向の考え方は忘れられたかのようにあまり発展しませんでした(現代哲学で取り上げている例としては、たとえば一九八七年 ダニエル・デネット意図的観点』)。

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拝読ブログ:異質性」や「多様性」って何だろう?

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速度を直接感じる

2007年09月01日 | x欲望はなぜあるのか

そして人間は、「心が動いて欲望や意思や意図を作り出し、それが筋肉を動かして力を出し、人体の運動が起こる」という人体のモデルを考え出した。このモデルを認めて、会話を進めていくことで、人間は、自分たち自身の身体と精神の活動や社会活動を言葉で語り合うことができるようになった。こうして、人間は、欲望→意思→意図→運動神経信号→筋肉収縮→人体運動、というものからなる人間行動の理論モデルを作ったのです。

背景に対して動いているものの位置の変化を速度、と感じ取る機能が人間の脳にはあります。向うの山裾を列車が走っていくのを見ると、人間はその速度を直感で感じる。コンピュータのように位置情報を時間微分して速度を算出しているのではない。人間の脳は、(オービスやスピードガンなど)ドップラー速度計のように速度そのものを感知する。橋の上から下の川の流れだけを見ていると、自分が流れとは逆の方向へ飛んでいるように感じる。速度を直接感じる脳の機構が働いているのです。海の波を見ていると、波が沖から走ってくるように感じる。脳が物質の運動を自動的に感知してそれに注目し、運動形成回路を同期させるのです。これで動いている物体に乗り移ったような気持ちになれる。それが速度を感じる脳の機構です。

波を構成している海水は、実は沖から岸へ移動しているわけではない。一箇所で上下運動をしているだけです。それでも人間には、波が岸へ向かって走るように見える。錯覚です。しかし、人間は、波が岸に向かって進む力を感じる。

拝読ブログ:赤紙

拝読ブログ:波源が波の進行速度より速い現象

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