明日になったときの自分が置かれるであろう状況を想像すること、昨日までの過去として自分の経験を記憶(自伝的記憶
)していること、他人から見える自分を想像すること、これらは皆、赤ちゃんにはできません。三歳くらいから上の子供と大人、つまり言葉を話す人間にしかできないことのようです。
一言でいえば、客観的に自分を見ることができる、ということでしょう。たしかに人間以外の動物や言葉を使えない赤ちゃんは、明日に向けたこういう想像ができるようには見えません。言語というものが、明日を想像するという人間特有の能力に深く関係していると考えられます。言語が使えるから、こういうふうに自分を客観的にみることができるのか? あるいは逆に、自分を客観視できるから言語が話せるのか? ニワトリが先か、卵が先か、分かりにくい話です。
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