私たちはこうして(拙稿の見解では)現実を身体で感じ取り、身体感覚としてのその現実感覚を利用して言語を習得し使いこなしています。またその言語を使うことで仲間と共有する現実の感覚を容易に維持することができます。このような仕組みによって私たちは現実としての明日を感じ取り、明日のことを仲間と語り合って今日の行動を起こすという毎日を送っています。
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私たちはこうして(拙稿の見解では)現実を身体で感じ取り、身体感覚としてのその現実感覚を利用して言語を習得し使いこなしています。またその言語を使うことで仲間と共有する現実の感覚を容易に維持することができます。このような仕組みによって私たちは現実としての明日を感じ取り、明日のことを仲間と語り合って今日の行動を起こすという毎日を送っています。
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科学に限らず(拙稿の見解では)、人間が真実とか現実とか思っているもろもろの物事、たとえば物質や人間や社会や運勢の現象と法則、現状認識、実現性、傾向などが、なぜ真実といえるのか、その理由は結局、仲間の集団的視座から見てそれが真実としか思えない、というところにあるといえるでしょう。このことは単に理屈でそう思うということよりも、私たちの身体がいつの間にかそれを現実として受け入れるように動いてしまう、ということです。動いてしまうことで、それを、現実という感覚として感じ取る、ということもできるでしょう。なぜ身体がそう動くのか意識しないうちに動いているということが、まさに私たちの身体が現実というものをそうして受け入れている証拠といえます。
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たとえば科学者が実験あるいは観測によって物質変化を観察記録して科学理論を作る場合、前提となる基礎的な科学理論を真実と思いこみ、さらに観察した現象を真実と思いこむところから出発します。そのとき科学者である彼または彼女は、その基礎科学理論をなぜ真実と思いこむのでしょうか? それは、科学者の仲間のだれもが、あるいはだれもがではなくとも、少なくとも権威ある一群の科学者仲間がそれを真実だと思い込んでいることが明らかであると確信できる、という理由によります。つまり科学者の集団的視座によってその科学理論が真実であると認められるとき、それは真実となるわけです。このことは(拙稿の見解では)、百年前ごろの(論理実証主義 )哲学者たちによって盛んに議論された「科学にとって真実は何か」という問題に対する現代的な答えのひとつといえます。
科学者仲間での冗談として「科学的真実とはネイチャーに載ることである」といわれますが、これが真実に過ぎて冗談として言えなくなりつつあるのでしょう。
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逆にいえば、人類は、(拙稿の見解によれば)仲間の集団的視座を使うことで自分を客観的に見てとり、自分が感じ取る物事が客観的に存在することを確かめる仕組みを身体機構として脳の中に作り込むことで、自分自身を含めた客観的世界の変化を予測し物事をうまく操作できるような動物として進化した、といえます(拙稿第4章「世界という錯覚を共有する動物」
)。さらにこの能力が狩猟採集から農耕牧畜の生活形態を発展させ今日の科学文明に至る人類の発展を可能にしたともいえます。
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この問題に関して拙稿の見解では、人間は仲間の集団的視線で自分の姿を客観視できることから言語が発生した、と考えます(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか?」 )。人間が、明日を語ることができるのも、また自分で自分の明日を想像することができるのも、どれも仲間の視線で自分の姿を外側から客観的に眺めることができるからでしょう。
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