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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

その理由を納得している

2012年03月05日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

私たちにとって、今日の行動は明日の現実につながっています。逆に、私たちにとっての明日の現実は今日の行動からできあがっている、といえます。それだからこそ、明日というものをいつも私たちは思い描いていてそれについて人と語り合うのでしょう。

そうであれば、私が今していることは、たとえば誰かと電話していることや、メールを書いていることは、明日の私のためになるからそれをしている、といえます。その理由を私は実は知っている。言葉で言えない場合も多いし、意識に上っていないことも多そうですが、少なくとも私の身体がそのように明日のために動いているということは、その理由を私の身体が納得しているということです。

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リハーサルによる明日

2012年03月04日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

Monomakhs_hunting 演劇や演奏会など特に緊張を要する行動でなくとも、私たちはいつも頭の中で明日のリハーサルをしている、といえます。それは簡単に一瞬の想像である場合が多いですが、明日の天気と外出のための服装などリハーサルのように思い浮かべます。あるいは手帳に買い物のメモを書いておく。あるいは会話や携帯電話や電子メールで明日の予定をだれかと確認する。そういう想像や書き込みや会話のために身体を動かすことで、一種のリハーサルをしたことになるのでしょう。そういう明日の予測やリハーサルをすることで(拙稿の見解では)明日が私たちにとって現実となっていきます。

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リハーサルは一回

2012年03月03日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

リハーサルは、これからする本番の場面を予測して、実際に身体を使って本番と同じように動いてみることで経験済みにしておくことです。経験済みのことを繰り返すと未経験の場合よりも、明らかにうまくいきます。慣れるとうまくなる、ということです。

ちなみに繰り返しは、慣れすぎるとなれ合いになったりして、かえってうまくいかなかったりします。演劇や音楽リサイタルなどでは、リハーサルは、一回か二回くらいにしておくほうがよい、といわれています。それもドレスリハーサルのように本番そっくりのリハーサルをすべきかどうかには意見が分かれて、本番そっくりにはしないほうが本番のときに適度な緊張感が保ててよい、というプロの演技者の意見もあるそうです。

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ぶっつけ本番

2012年03月02日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

Kiev_vasnetcov 演劇などでは上演前にリハーサルをします。オーケストラの演奏会前にも、ロケットの打ち上げ前にも、ふつう入念なリハーサルをします。リハーサルは何のためにするのか? リハーサルなしでぶっつけ本番をすると、失敗が多い。そういうことを私たちは経験で知っています。皆の息が合わないとか、勘違いがあるとか、急にあがってしまって演技が続けられないとか、機械が設計通りに動いてくれないとか、いろいろ困ったことが、本番では起きます。

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人間特有の行動様式

2012年03月01日 | xx8私はなぜ明日を語るのか

人間は明日の状況を想像する。想像した状況が現在目の前にあるように身体が動く、といえます。つまり人間は現在とは違う状況を現実であるかのように想像することができる。その仕組みが明日に向けての人間特有の行動様式を作っています。この仕組みは脳の中でリハーサルをするようなものでしょう。

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