私たちにとって、今日の行動は明日の現実につながっています。逆に、私たちにとっての明日の現実は今日の行動からできあがっている、といえます。それだからこそ、明日というものをいつも私たちは思い描いていてそれについて人と語り合うのでしょう。
そうであれば、私が今していることは、たとえば誰かと電話していることや、メールを書いていることは、明日の私のためになるからそれをしている、といえます。その理由を私は実は知っている。言葉で言えない場合も多いし、意識に上っていないことも多そうですが、少なくとも私の身体がそのように明日のために動いているということは、その理由を私の身体が納得しているということです。
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