みんなの党から江田議員とそれに同調する10名近い議員が離党して新党を結成するそうですね。
みんなの党が結成された時から、私は胡散臭いものを感じていました。
名は体を現わすと申します。
みんな、という得体の知れないものを公党の名前に決めた時点で、極めて差別的な性質を持つだろうと思っていました。
みんな、と言いますが、それは一体誰と誰のことなのでしょうか?
逆に、彼らがみんなの中に入らないと判断した場合、徹底的に排除するに違い無いと直感したのです。
渡辺代表は反党行為をした者は出て行ってもらう、比例で当選した者は議席を返してもらう、と息巻いていました。
その外貌、その口調は、独裁者そのものでしたね。
結党当時、渡辺代表と江田議員は緊密な関係性を保ち、野党再編の起爆剤になるのだと、理想に燃えていました。
しかし、せっかく30名を超える議員を抱えながら、大量の離党者を出すにいたりました。
みんなとは誰なのか、はっきりしました。
渡辺代表のイエスマンをみんなと呼ぶのでしょう。
私はみんなという言葉や、空気を読むと言う言葉が大嫌いです。
私は私であって、食うために組織に属してはいますが、そんな組織、いつだって辞められます。
重要なのは、私は私1人を恃み、みんななんていう気色の悪いものには、少なくとも精神的には属さないように心がけること。
また、全体主義的な匂いが漂う空気を読むなんていうことはしないこと。
悲しいかな、私は空気を読む能力に長けています。
普通と異なるのは、空気を読んだうえで、あえてその場の空気を破壊するような行為にわざと及ぶこと。
それによって、空気を読むことの怖ろしさを示したいのです。
このたびのみんなの党の内紛劇、滑稽ですらあります。
権力闘争に敗れた側が離党し、勝利した側を多くのみんなを失うという痛みを受けました。
醒めに醒めた、どこまでも冷静で、時には冷酷ですらある政治家や政党ばかりになれば、この国の政治はよりよくなるでしょう。
夢やロマンだけで政治家を目指す人は、その時点で政治家たる資格が無いものと言えましょう。
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