新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

澤田瞳子『若冲』

2021年11月26日 | 本・新聞小説
米国の日本美術の収集家ジョー・プライス氏は600点を収集。その中には若冲《鳥獣花木図屏風》も入っています。(数年前そのコレクションの中の190点が出光美術館に売却されこの屏風も入っています)
これとそっくりの《樹下鳥獣図屏風》が静岡県立美術館に収蔵されており、プライスコレクションの《鳥獣花木図屏風》が模倣作ではないかと佐藤康宏氏が声を上げました。辻惟雄氏は真っ向からこれに反論して一貫して2点とも若冲作だと。どちらにしてもすばらしい屏風には変わりありません。

この二つの屏風を取り上げた本が、友人から回ってきた澤田瞳子《若冲》でした。今までのイメージと全く違ってとても引き込まれたという感想でした。

若冲の人生を軸にした創作物語ですが、美術史家でもある澤田さんは時代考証も当時の風俗の描写もすばらしく格調高い文章には隙がありません。
円山応挙、蕪村、池野大雅、谷文晁など同時代の文化人がずらりと登場するので内容が深まります。

文中に出てくる絵の主なものを編集して、次に本を回す人が見やすいようにプリントしておきました。
上段が静岡県立美術館蔵《樹下鳥獣図屏風》、下段がプライスコレクション《鳥獣花木図屏風》です。

この本では若冲が描いたものを下段の《鳥獣花木図屏風》とし、上段が市川君圭(若冲の妻の弟)が描いたものとなっています。
君圭は姉(自殺した若冲の妻)の死で若冲に対して激しい憎悪の念を抱いていました。憎しみの熾火を燃えたぎらせて絵筆を持ち、若冲の絵をそっくり引き写して偽絵を描き続けていたのです。
己への罰として絵筆を執る若冲と、そんな義兄を恐ろしいまでの画技で追い立て続ける君圭。君圭の絵はすべて若冲の絵、そして君圭の無言の圧力を撥ね除けるために描き続けた若冲の絵は同時に君圭の絵。
君圭の描いた鳥獣図の偽絵を若冲は自分が描いたものだと言い放ち、それは自分は君圭に負けたのだと思い知ります。

君圭の鳥獣図はすべて若冲がこれまで描いた絵からの引き写しですが、若冲は自分しか描けない絵、鳥も獣も今までに描いたことがないはるか遠くの国の生きとし生けるものたちを描く決心をします。
屏風絵の構図は君圭のものと同じでも、晴れやかな命を歌い上げる緑豊かな国に遊ぶ不可思議な生き物を画面いっぱいに絵描きます。自分しか描けない草木国土がこぞって晴れやかな命を礼賛する浄土を描くのだ・・・。これが鳥獣花木図屏風です。

このように人物配置と心の葛藤の緻密な計算で二つの絵を若冲作とした沢田さんのすごさ、この文学的解釈に大拍手です。
これは《若冲》の一部分です。とてもここに書き表せるものではありません。文中に多数出てくる絵をパソコンで確認しながら納得しながら読む・・・、疲れますがズシリと心に何かを残してくれました。  


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