慶喜が攘夷に手ぬるいのは側近が悪い考え方を吹き込んでいるのに違いない・・・。裏で糸を引いているのは平岡円四郎だと、平岡は慶喜の生まれた水戸藩の過激藩士に襲われて最期を迎えました。栄一も喜作も江戸に下っている最中に起きた出来事でした。
江戸へ旅立つ茶店で、円四郎との会話が栄一へのいわば遺言になりました。
「一途に国のことを考え、まっとうに生きていく·····攘夷か否かって上っ面はどうでもいいんだ·····」
「元は武士でないことも忘れるなよぉっ! 無理に死ぬのを生業にすることはねぇってことさ。」
「侍は米も金も産むことができない·····この先日本やご公儀は武張った石頭じゃ成り立たねぇ·····渋沢、おめぇはおめぇのまま生きぬけ、必ず!いいなっ!」
もうひとつの慶喜と円四郎の最後の会話も素晴らしいシーンでした。
慶喜の苦悩「·····余は輝きが過ぎるのじゃ···親の光か家の光かわからない·····しかしそんな輝きは本来全くない·····みんな幻を見ていて、幻の輝きが多くの者の命運を惑わせた····私はただ徳川の一人として謹厳実直に天子さまや徳川をお守りしたいのだ·····ただ権現様に恥ずかしくない世にしなければならないとはようやく思う···」に応えて、円四郎は「その心意気でございます。その輝きはこれからも消えることはありません。今の緩んできた世をまとめるのは殿しかいない。この平岡が尽未来際、どこまでもお供仕つります」と言うと、慶喜は「全くそなたにはかなわない」」と円四郎を見て満面の笑みを浮かべました。主従の信頼が繋がり合う満ちたりた幸せな時間でした。この濃密なやり取りのシーンが二人の最期となります。
「尽未来際」とキッと慶喜を見つめた眼差しの向こうにある新しい世を見ることなく、家老円四郎の、まさに人生の最高の時に訪れた暗殺という理不尽な死でした。
ドラマにおいても好ましい円四郎の死が視聴者に与えたショックはかなり大きいと思います。私も本を読んだ時、慶喜の信任厚い平岡の若い死は、歴史の真実であるが故にかなりショックでした。
昌平坂学問所きっての秀才と言われた円四郎の早すぎる死、歴史に渦を起こしたことは確かだと思います。
ドラマの中の「じん・・・・い」がよく聞き取れず、江戸期なら「仁」の四字熟語ではないかと、夫とあれこれ漢字を並べてみましたがどれもぴったり来ず、とうとう録画の見直し。「じんみらいさい」の音がやっと聞き取れました。
「じんみらいさい」を調べると「尽未来際」。初めて目にした文字で、意味は「未来の果てに至るまで」。
昌平坂学問所の優等生、円四郎の口から自然に出る言葉はやはりかっこいいですねぇ。
来週から円四郎のいない大河ドラマは淋しくなります。