新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

福岡市美術館「茶の湯交遊録」

2014年01月25日 | 福岡市美術館

今日、「アクロス・文化学び塾」で、福岡市美術館学芸員 岩永悦子氏によるとても興味深い講演がありました。
『松永安左エ門と小林一三 50年の友情、逸翁追善の茶会』という内容で、ちょうど福岡市美で開催中の展覧会を深く掘り下げたものでした。

小林氏は私鉄経営のモデルを示し、宝塚歌劇の創始者で、沿線の大々的な開発を行った「今太閤」と称される実業家です。
松永氏は、西日本鉄道の元を作り、電気事業再編成を行い日本の高度成長を支え「電力の鬼」と称された実業家です。
その二人はそれぞれに裕福な家庭に育ち、年齢も近く、福澤門下生として出会い、実業に貢献したばかりでなく、戦前戦後にかけて活躍した大茶人でもありました。

従来の型にとらわれず新しい試みを目指す小林氏のコレクションには華やかさがあります。一方、茶の王道を行く松永氏は侘びを大切にします。その対比や共通部分をとてもわかり易く簡潔に説明してもらいました。

下記は、その二人のコレクションの特色をひと言で表している素晴らしいパンフレットです。福岡市美術館で今開催中の「茶の湯交遊録」、副題は「逸翁と耳庵の名品コレクション」です。
この展覧会は単に名品を並べただけでなく、二人のコレクションの違いを並べて対比させたり、反対に似たものを並べて展示したりと、興味をそそる展示方法が他と違うところです。

写真左の茶碗の逸話を。一見すると割れた茶碗を金で継いだだけに見えますが、よーく見ると、実は全く違う茶碗の似た破片を丹念に継いでいるのです。
逸翁は、このあまりの見事さに感心して、三代目を後継するのは難しいとされている将軍職を見事につないでいった「家光」にちなんで、茶碗に「家光公」と名付けました。ひねったというかしゃれているというか、その発想が見事だと思いました。

Photo_3     Photo_4

講演の後半に、資料を深く読みこんだと思われるドラマチックな話がありました。
逸翁は昭和32年1月25日夜、翌日の茶会の準備を終えたあと急死します。途方にくれた耳庵は、2日後に予定していた自分の茶会に亡き盟友を送るための道具組に心を込めて工夫をしました。
ちょうどその
朝の新聞で、その日が源実朝が暗殺された日であることを知り、伝・実朝作「日課観音図」の掛け軸を思いつき、花入れも逸翁好みに考えました。

その茶会に参加した茶人は、洋ラン赤絵金襴手の花入れに挿されていることに耳庵らしからぬと驚きいぶかしさを感じますが、逸翁を深く知る耳庵は追善の思いを胸の奥に秘めたまま誰にも明かさずただ静かに逸翁を送りました。かつて耳庵は逸翁から赤絵金襴手の瓶でお酒をふるまわれたことがあり、逸翁の好みをちゃんと理解していたのでした。

1月26日には、市美術館で、「耳庵、逸翁を送る~逸翁追善呈茶席」が予定されています。逸翁愛蔵品の赤絵金襴手盛戔瓶も含めて、その日の茶道具の一部が展示されているようです。
二人のコレクションが逸翁の命日に一緒になるという、何と粋な計らいでしょう!
こんな素晴らしい企画展覧会なのに、常設展の料金で入館できます。重要文化財もたくさん出ています。逸翁美術館からこれだけの逸品が貸し出されているのも珍しいということです。

コメント (7)