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過去の雑記帳からの抜粋

なぜ、こんな目に合うのか

 まだ、何もやっていないのに、熱でえらい目に合わないといけないのか分からない。。街を歩いている人を掴まえている人と捕まえてきて、病室に閉じ込めただけです。宇宙とつながっている意識を持っている私が分かるはずがない。

過去の雑記帳からの抜粋

 最初の米国出張は、1997年の9月1日でした。JAL006便でした。てっきり、1999年だと覆っていた。ダイアナが亡くなったのも、97年ですね。ニューヨークのルーズベルトホテルにとまり、夜中の2時にテレビを点けたら、葬儀の生中継だった。当時、一番気になったのは、複雑性の研究です。

 次世代システムの根幹はコミュニケーションだという見識を残している。基幹系と情報系、本部と店舗、デーラーとメーカー、お客様とのつながり、それらの情報共有です。20年前にそれを言っていた。その為に、データベースとデータウェアハウスと通信系をハッキリさせるとも言っている。ウィンドウズ95が生まれたばかりで、クラウドなどは影も形がなかった世界です。

 ICレコーダーは97年から使い始めた。2000年のSAPL(サンフランシスコ公共図書館)で、黒人の警備員から「それは何だ」と聞かれて、「It's a SON!Y」と答えたのは覚えている。その前は、マイクロカセットテープを持ち歩いていた。

 その時点でも本を書こうとしていた。「これが最後の活動」「天涯孤独な地球に上で」。当時はコンビニ研究でかなり、細かいところまで入り込んでいます。サンフランシスコの街をフリー切符でコンビニまわりをしていた。

 97年に「ミニのスリット」でパートナーが出てきている。かわいらしいという感じ。当時は、入社3年目です。

呼吸困難でかんじたこと

 日曜日に呼吸困難になった時には、「ここまでなのかな」と思った。未唯の儀式を邪魔したくない、その意識が優先した。

順番になっている

 奥さんがパソコンを持ってきた。自分で運転してきた。4月になったから、やはり、運転はできるようになってる。言っていた通りです。ちなみに、明日はプール仲間とお花見だそうです。

抗生物質が抜けていく

 体温は36.3度です。どんどん平熱に近づいている。余分なものが抜けたので、入院する前の状態になります。これを医者に言ったところ否定された。それから、抗生物質は使っていない。

 熱の原因を調べるということで、CT検査が行われた。平熱になってやっても意味がないでしょう。そういえば、泌尿器科の時も同じようにCTスキャンを行った。当時のsh量を遡れ。

 やっと、34.7℃で私の平熱です。抗生物質を切ったから。

資本主義の市場コントロール

 資本主義というのは、市場がコントロールするモノ。再分配を可能にする権力は市場を超えるものになる。これをするのは、私的所有に介入する、強力な権力が必要です。

平等のための社会主義

 社会主義は元々、平等を優先させるイデオロギーだから、資本主義よりも格差をなくす力は強い。なぜ、社会主義は大きな不平等をもたらしたのか。

 平等を実現するために、大きな政治権力を市場の外部に必要とした。その組織の幹部は有利な立場になり、個人の権力で動いた。政治権力が経済的な格差の原因となった。

病室の状況

 夜中に空調の音がきつい。訴えたら、耳栓を持ってきた。すぐ、なくしてしまった。代わりにテレビの音をイヤホンでかぶせた。

 火曜日まで5日間ある。その間は日常的に暮らします。このICレコーダーも普段通りに使っていく。。
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