goo

イスラエルの出産・子育て事情

『イスラエルを知るための62章』より

 イスラエル中央統計局の資料によると、2016年の合計特殊出生率、すなわち女性一人が一生で出産する子どもの平均数は3・H人。経済協力開発機構(OECD)の加盟国の中でトップの座にある。ユダヤ人を中心にさまざまなエスニック・グループが存在するイスラエルでは、グループによって家族形態や平均的な子どもの数が異なる。いわゆる世俗派と呼ばれるユダヤ系の夫婦では子どもは3~4人というのが普通だ。ハレディーム、すなわち、超正統派ユダヤ教徒の夫婦ならば、10人以上の子どもがいる例もめずらしくない。正統派の住民が多いエルサレムの街では、ベビーカーを押す母親に寄り添い、兄姉が弟妹の手をとってずらりと行列をなすかのように歩く姿をよくみかける。

 ユダヤ教の聖典である旧約聖書には「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(「創世記」第1章28節)というくだりがある。ュダヤ教では、子どもは神からの贈り物であり、家族の繁栄は人生で最も大切なものとされる。また、ユダヤ人の離散・迫害という過去の受難が、子孫を増やす原動力となっているとも説明される。また、ユダヤ教徒に加え、ムスリムやキリスト教徒のアラブ系住民も、子どもは神からの贈り物、家族の繁栄は人生の豊かさの現われとしてとらえる。特にベドウィンは、超正統派ユダヤ教徒の家族に匹敵する大家族を抱える。

 「子どもは最大の宝」という社会的・宗教的背景のもと、イスラエルは世界に稀にみる出産奨励策、生殖医療技術を誇る。女性には15週の出産育児休暇が認められ、税制においても母親優遇制度かおる。パートナーの男性と育児休暇を分けてもよい。また、不妊治療中の女性には年間80日までの有給休暇が認められる。さらに、あらゆる生殖医療サービスに対し資金援助をする世界で唯一の国である。不妊治療は、既婚・未婚にかかわらず、すべての女性やカップルに45歳まで健康保険枠で提供され、卵子提供を受ける場合は、資金援助がカバーする資格は51歳まで延長される。巷でも「イスラエルはIVF(体外受精の略)王国」と謳われるが、各都市の大病院には、決まってIVF科があり、診療者であふれている。キャリアウーマン風の女性、配偶者や母親に付き添われたムスリムの女性、伝統的な服装のユダヤ教徒夫妻が肩をならべて検査待ちだ。看護師たちは、ヘブライ語、英語、アラビア語、ロシア語を見事に切り替えながら一人ひとりの診療者に投与すべき薬の指示を行う。医師も終始明るい態度で、「これがだめなら、次の方法」と積極的に治療を進め、診療者を激励する。

 国民の「子ども」という集団的ニーズにここまで国家と社会が太っ腹で応えているのは、人口問題に国家そのものが強く関与しているといえるかもしれない。「高値の」赤ちゃんも成人して働いてくれれば、税金を支払ってくれるから、という意見もある。しかし、何よりも、どんな女性にも母となる機会を最大限に与えるべき!という根源的な意識がイスラエル社会にあるように感じられる。

 妊娠、出産についても例外的な検査や条件を望まなければ保険でカバーされる。そのうえ、妊娠中の検査も世界有数といわれるほど多く、出産に対する希望も自由に聞いてもらえるのが普通である。ただ、生まれてしまえば、あっさりとしたもの。二泊したら即退院(帝王切開の手術の場合は一週間)となる。

 赤ちゃん誕生後の検診は、「ティパット・ハラブ(意味はミルクのしずく)」と呼ばれる赤ちゃん専用の施設で行われる。壁にはディズニーのキャラクターが描かれていたり、おもちゃ箱があったりの赤ちゃんにやさしい空間づくりが工夫されている。専門の看護師が常駐し、予防注射や小児科医の診察などのほか、乳幼児のための緊急心臓マッサージ等の講習会なども行われる。

 イスラエルでは、それぞれの宗教・文化背景によって、子育てのあり方も微妙に変わるが、ユダヤ人の場合はどうだろう。まず、生まれた子が男の子だったら、ユダヤ教の伝統に則り、八日目に割礼式が行われる。ユダヤ教徒と神との契約の中でも最も重要なものの一つであり、「モヘル」と呼ばれる割礼執刀者とラビによって、招待客に囲まれて厳かになされる。儀式後は赤ちゃんの誕生を祝う賑やかなパーティとなるのだが、母親にとっては男の子の子育ての第一関門。緊張と不安に打ち勝たねばならず、会場から一時姿を消す母親すらいる。赤ちゃんは当然わっと泣き出すのだが、お祝い用の赤ワインを含ませたガーゼをくわえさせたりして、痛みをやわらげてあげる(?!)こともある。長男の場合、生後31日目に「ピディオン」と呼ばれる儀式が続く。ユダヤ教では長男は両親のものではなく、コーヘン(司祭)のものになることから、子どもを取り戻すために、父親は「身代金」を払うという象徴的な儀式だ。しかし、こちらは世俗的な家族はあまり行わない。女の子の場合は、誕生後父親がシナゴーグヘ行ったときに、母親と赤ちやんへの祝福が唱えられ、慎ましいお祝いの会がもたれる。子どもの誕生の儀式が「子どもの幸せと健康を祈って云々」というのではなく、神との契約だからという義務を遂行するというところがユダヤ教的やり方といえる。

 世俗派であれ、宗教派であれ、共働きが一般的なイスラエルでは、産休が終わると、親は子どもをどこかへ預けなければならない。数カ月の乳児は、「マオン」と呼ばれる保育施設か、「メタペレット」と呼ばれるベビーシッターのもと、あるいは「ミシュパハトン」という4、5人の子どもを預かる家庭で過ごすことが多い。2、3歳になると「ガン」と呼ばれる幼稚園に通う。幼稚園は世俗派、伝統派、正統派、キブツ、また二言語教育派、シュタイナー教育派など多様な趣向に分かれ、親は自らの生活習慣やイデオロギーにあった子どもの場を探す。幼稚園は通常朝7時~7時半頃から午後1時まで、午後までの保育では午後4時半頃までだ。両親ともフルタイムで4時頃までに迎えにいけない場合は、ベビーシッターを雇ったり、子どもの祖父母の力を借りるケースもある。ただ、イスラエルの職場は、子どもをもつ母親に理解を示すことが多く、仕事を早めにあがっても冷たい視線を向けられることはない。問題は3歳くらいまでの子育て費用が大変高いことで、社会から悲鳴が上がっている。

 イスラエルの幼稚園では、元気いっぱいの子どもたちが、それぞれ自由に思いのままに遊んでいる。あっちでままごと、こっちで積み木。お絵かきする子もいれば、パズルに没頭する子もいる。そしてメリハリをつけるように保育士がリードする集会がある。子どもたちは保育士を囲んで座るが、皆、「私が」「僕が」と受け答え、積極的に子どもなりの「議論」に参加する。個を尊重し、言いたいことがいえ、直接的に問題提起をして解決しようとする教育現場のあり方がすでに2、3歳児の幼稚園でも実現されている。私の知るエルサレムの幼稚園では、集会では保育上が、テーマを決めて絵本を読んだり、季節の行事にちなんだお話をする。プリムやハヌカなどのユダヤ教の祝祭日が近づけば、パーティも行われ、金曜日にはカバラット・シャバット(安息日を迎える儀式)もある。こうして子どもたちはユダヤ教について早くから学んでいく。また、イスラエル人としての愛国心もしっかりと植え付けられる。独立記念日の週には、幼稚園はイスラエル国旗の色である青と白で埋め尽くされ、幼稚園内のパーティには、白いシャツと青いズボンで登園するようにとお達しがある。個の尊重とともに、圧倒的な連帯感を生み出そうとするところも、イスラエルの幼児教育現場の特徴といえようか。

 イスラエルの妊娠、出産、子育てというシーンを追うと、イスラエル社会が家庭という単位を重視し、地域社会全体が子どもをバックアップして育てていることが感じられる。また、母性(また父性)を引き出される場面に遭遇しやすい。「子どもを得なさい。相手は人間だったら誰でもいいのよ。育ててみてごらんなさい。子どもほど素晴らしいものはない」--1950年代10歳のときに徒歩でシリアから越境し、イスラエルで生き抜いてきたユダヤ人女性が、30代だった私の目をみつめて語った言葉である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 未唯宇宙10.4.... 二都物語--... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。