未唯への手紙
未唯への手紙
自分が消えてなくなる意味がわからない
『わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか』より ⇒ 「自分が消えてなくなる意味がわからない」と、皆、同じことを思っているんだ。
おそらくは小学校に入るか入らないかの時期、死という概念を初めて知って、自分でも制御できないほどの恐怖に襲われたことがある。
知ったその瞬間ではなくて夜に眠るために布団に入ってから、自分はいつか死んで消えるのだとあらためて考えて、あまりの恐怖に眠れなくなったのだ。死ぬことが怖いというよりも、自分が消えてなくなることの意味がわからないというニュアンスのほうが正確かもしれない。そしてわからないと思う自分の存在が消えることの意味がわからない。さらに自分が消えたあとも世界は存在する。その意味もやっぱりわからない。わからないけれどその事態は、間違いなくいつかは起きる。
不安と恐怖に耐えきれなくなって、傍らで眠っている(隣の部屋だったかもしれない)父と母を揺り起こして、怖いよ消えちゃうよと泣きながら訴えたことを覚えている。それに対して二人は(目をこすりながら)、「それは眠るようなものだから」などと何度も言った。その言葉ははっきりと覚えている。当惑しながらも二人は、必死に幼児をなだめようとしていたのだろう。もちろんこの答えで納得などできない。眠ることは怖くない。なぜなら数時間後には絶対に目覚めるのだ。でも死は目覚めない。眠ることとは根本的に違う。自分は消えるのだ。その意味がやっぱりわからない。
そのときはいつのまにか(おそらく二人の布団にもぐり込みながら)、まさしく眠り込んでいた。でもそれからしばらくは、友達と遊んだりテレビを観たりご飯を食べたりする日常を送りながら、ふいに自分はやがて死ぬのだと思いだし、そのたびに呼吸がうまくできなくなるくらいの恐怖に襲われていた。
だって承服できない。なぜ消えなくてはならないのか。ならば何のために生じたのか。何のために今があるのか。
そんな自問自答をくりかえしながら、もしかしたら消えるわけじゃないのかもしれないと子供は考える。肉体はそこに置いて、意識だけがどこかに行くのかもしれない。ならばどこに行くのか。そして生じる前はどこにいたのか。どこから来てどこへ行くのか。
……子供時代のことだから、もちろん語彙はもっと貧弱だったはずだ。でも大意としてはそんなことを、僕は悶々と考えていた。
おそらくは小学校に入るか入らないかの時期、死という概念を初めて知って、自分でも制御できないほどの恐怖に襲われたことがある。
知ったその瞬間ではなくて夜に眠るために布団に入ってから、自分はいつか死んで消えるのだとあらためて考えて、あまりの恐怖に眠れなくなったのだ。死ぬことが怖いというよりも、自分が消えてなくなることの意味がわからないというニュアンスのほうが正確かもしれない。そしてわからないと思う自分の存在が消えることの意味がわからない。さらに自分が消えたあとも世界は存在する。その意味もやっぱりわからない。わからないけれどその事態は、間違いなくいつかは起きる。
不安と恐怖に耐えきれなくなって、傍らで眠っている(隣の部屋だったかもしれない)父と母を揺り起こして、怖いよ消えちゃうよと泣きながら訴えたことを覚えている。それに対して二人は(目をこすりながら)、「それは眠るようなものだから」などと何度も言った。その言葉ははっきりと覚えている。当惑しながらも二人は、必死に幼児をなだめようとしていたのだろう。もちろんこの答えで納得などできない。眠ることは怖くない。なぜなら数時間後には絶対に目覚めるのだ。でも死は目覚めない。眠ることとは根本的に違う。自分は消えるのだ。その意味がやっぱりわからない。
そのときはいつのまにか(おそらく二人の布団にもぐり込みながら)、まさしく眠り込んでいた。でもそれからしばらくは、友達と遊んだりテレビを観たりご飯を食べたりする日常を送りながら、ふいに自分はやがて死ぬのだと思いだし、そのたびに呼吸がうまくできなくなるくらいの恐怖に襲われていた。
だって承服できない。なぜ消えなくてはならないのか。ならば何のために生じたのか。何のために今があるのか。
そんな自問自答をくりかえしながら、もしかしたら消えるわけじゃないのかもしれないと子供は考える。肉体はそこに置いて、意識だけがどこかに行くのかもしれない。ならばどこに行くのか。そして生じる前はどこにいたのか。どこから来てどこへ行くのか。
……子供時代のことだから、もちろん語彙はもっと貧弱だったはずだ。でも大意としてはそんなことを、僕は悶々と考えていた。
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