goo

最終段階を意識し始めた

最終段階を意識し始めた

 やはり最終段階にいくしかない。余分なものを排して、 腰の部分の第3段階をまとめよう。

1.1.1「存在と無」

 無の意識から存在を感じた。存在の不思議さ、危うさ、存在していなければという前提が成り立たない世界。存在だけが希望だった。内なる世界を感じた。そこしかないと感じてる。さて、何を目指そうか。

 「無」には底知れぬ恐怖がある。本当にゼロの世界、にもかかわらず、存在と共存している。その不思議さを感じた。答えはあるのかないのか、無は無であるしかないのに。

 0=1の世界、数学の世界に頼るしかない。数学者になりたかった 。考えるだけで生きていく世界がそこにあった。だけど、数学には答えはなかった。新しい数学を作るしかない。存在と無の答えになるような数学を作るしかない。

 そのためには全てを知らなければいけない。八十歳までの計画を決めた。数学、社会学、心理学、歴史学である。あとから、哲学が入ってきた。そして、今は最終段階です。

新太を「ニュー」と呼ぼう

 未唯の子供の新太だけが 父親に連れられて、実家に行ったみたい。未唯はつわりがあるので残っています。だから家は静かです。新太はニューと呼ぶことにしました。英語読みです。ギリシャ語ではミューの後はニューというのが本当の理由です。

 新太が居ないので、リクが居間でのんびりしました。未唯から新太がそろそろ帰ってくると言われて、そこそこと抜け出しました

トランプの「私の核ボタン」

 核の私有化は許されない。そのために許したわけではない。人類はろくなものではない。

家族制度は非効率

 人類はなぜ労働に効率を求めたのか。家族制度という非効率なものをそのままに、生殖にしても、育児にしても、食事にしても非効率です。たぶん非効率が原則なんでしょう。その原則を崩す時が来たかもしれません。多くの人が幸せを望むならば。

Googleの音声入力

 Googleの音声入力で、「配置」単体で入れようとしたら、「愛知」とか「廃棄」としか変換できなかった。文書にすると「配置」になります。どうも後ろから変換してみたいですね。

いくちゃんの考えてるポーズ

 正月番組でのいくちゃんの考えてるポーズが気に入ってる。なぜ、こんなにもかわいらしいのを考えられるのか。

1.1.2「孤立と孤独」

 わけもなく放り込まれた存在としては「孤立と孤独」が基本です。存在感のない世界に生きていくしかない。そこは絶対的孤独な世界しかない。死しか見えてない。あまりにも狭い世界であり、その外側には広大な宇宙が広がっている。

 他者が同じ思いかどうかは明確にならない。他者の存在が信じられない。同様に他者からも私は見えてない。他者から承認されること。この意味がわからない。他者が存在しないと思っているから。この割り切りまでかなりの時間を要したが、今は地位とか他者の意見は意味を持たなくなってる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 反映対比表 2... 夢がある人を... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。