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カリフ制再興による大地の解放

『イスラーム学』より イスラームの今日的使命--カリフ制再興による大地の解放
大地の解放のカリフ制
 イスラームの政体、カリフ制における政体の単一性は、領域国民国家を前提としていません。政体を支配者の数が単独か、少数者か、多数者かで分類するギリシャの政治思想の伝統に呪縛され、支配者の数に偏執的にこだわる西欧人は、カリフ制と聞くと、単独者の支配する独裁制を思い浮かべるようです。本質を見損なう愚かな反応と言わざるを得ません。カリフ制とは、なによりも、地球全体、人類全体を、神の法(シャリーア)の支配の下におこうとの、真の意味でのグローバリゼーションの政治思想なのです。先に述べた通り、イスラーム法の用語では、カリフの語はほとんど用いられず、イスラーム政体の元首はイマームと呼ばれており、カリフの語に深い意味はありません。
 しかし、世界観の深層においては、クルアーンではカリフ(ハリーファ及びその複数形のハラーイフ)の語は地球と深く結びついています。クルアーンのカリフの用例は地球(アルド)とセットになっており、同じ節の中で「地球」の語が現れない少数の用例でも、必ず前後の文脈で地球が主題となっていることが分かります。勿論、「真の意味でのグローバリゼーション」だと言ったからといって、それが無条件に良いものだ、ということにはなりません。言い換えれば、それは世界制覇を目指す真正の帝国主義だということですから。カリフ政体によるグローバリゼーション、あるいは大地の解放については、後に述べるとして、ここでは先ず、カリフ政体の特質を現代日本文化に即した表現で明らかにしておく必要があるでしょう。
カリフ制の世俗性
 先ず、カリフ政体は、世俗国家である、と言ってみましょう。実は、世俗主義、政教分離、神権国家、などの概念は、いずれもヨーロッパ・キリスト教文化を背景にして初めて意味をなす概念であり、イスラーム文明だけでなく、インド文明、中国文明、日本文明(文化でもどちらでも構いませんが)にも当てはまりません。ですので、本当は、カリフ政体を世俗国家と言うことも、宗教国家、あるいは神権国家と言うこともどちらも意味が無いのですが、近似的に言うなら、まだ世俗国家ということになります。というのは、スンナ派のイスラーム政治論、カリフ制は、紛れもない宗教国家、神権国家であるシーア派のイマーム制のアンチテーゼとして成立したからです。
 シーア派のイマームは、アッラーの啓示に則ってウンマ(ムスリム共同体)を治めるためにアッラーから任命されます。イマームは、アッラーの導きによって過ちを犯すことの無い無謬の指導者、教主なのです。シーア派の教義によると、アッラーの神意を知りうる者は、このイマームだけであり、他の信徒たちには、アッラーの意思へのアクセスは閉ざされています。信徒たちが、アッラーの御心にしたがって、イスラームを実践したいと思っても、このイマームを介するしか、アッラーの意思にアクセスすることはできないのです。このイマーム制こそ、神と人間の間を仲介する宗教者たる聖職者が政治を行う、という西欧的意味での宗教国家、神権制に他なりません。
 ところが、このシーア派のイマーム制のアンチテーゼとして成立したスンナ派のカリフ制は、カリフの無謬性を明示的に否定します。スンナ派は、神意を体現する無謬の存在は預言者だけであり、預言者ムハンマドの逝去後には、いかなる人間であれ神意を体現することも、無謬性を有することもありえないと考えます。ただし、スンナ派では神意を体現する無謬の存在は預言者の逝去後には存在しなくなりますが、神とのコミュニケーションが完全に途絶えた、と考えるわけではありません。
 預言者やイマームのように無謬の完全な存在でなくとも、常人に比べると霊性に勝れ、時に神智を授かることもあるような宗教的エリート集団は、スンナ派の歴史の中にも存在しています。彼らは徐々にスーフィーと呼ばれる神秘主義修道者として結集するようになり、西暦12-13世紀頃からは、「道(タリーカ)」として知られる無数の神秘主義修道会を形成していきます。しかし、こうした霊性は、イスラーム法学上カリフの資格条件とされることは決してなく、現実の歴史の中でも、こうした神秘主義修道会のカリスマ的な指導者も、時に地域の豪族のレベルで教団国家のような地方政権を作ることはあったとしても、ムスリム共同体全体を統べるカリフになることはありませんでした。
 一方、ヨーロッパの宗教理解における神と「俗人」を仲介する聖性を帯びた宗教者、聖職者の概念に最も近いこのような霊性に優れた神秘主義修道者スーフィーとは別に イスラームには、イスラーム学の専門家であるウラマー(アーリムの複数形)、あるいはイスラーム学の中核のイスラーム法学を修めた者という意味でフカハー(ファキーフの複数形)と呼ばれるイスラーム法学者集団が存在します。シーア派のイランではイマームの不在時には、このフカハー(イスラーム法学者)がイマームの代理人として信徒を導くという教義が発展し、遂にイラン・イスラーム革命において、政治を含む生活の全ての領域においてフカハーがシーア派平信徒を全面的に指導するという「イスラーム法学者の後見(ウィラーヤ・アルファキーフ)」体制が成立し、イマーム制のような典型的な宗教国家、神権政治ではないものの、ある意味では宗教国家、神権政治に近いものが実現しました。
 スンナ派では、歴史的に、イスラーム法学者がカリフになったり、政権の中枢を担ったり、といったことは起きませんでした。しかし、実は、スンナ派でも、霊性や無謬性はカリフの資格条件ではありませんが、イスラーム法の知識はカリフの資格条件の一つに数えられています。というのは、先に見たように イスラームには三権分立の思想は無く、理論的には司法も元首であるカリフの職務であり、カリフは最高裁長官も兼ねていたからです。
 しかし、現実には当時の世界における最大の帝国となったカリフ政体においてカリフ自身が裁判を司ることが事実上不可能になったこともあり、カリフは司法をイスラーム法学者(フカハー)たちに任せることが慣行化します。カリフがイスラーム法--というよりは当時はまだイスラーム法の体系はできあがっていませんでしたから、クルアーンと預言者のスンナ(慣行)に対する知識、と言った方が適切ですがーを有して実際に裁判を司ったカリフは、歴史家たちが正統カリフ(フラファー・ラーシデゥーン)と呼ぶ最初の4人のカリフ、アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーだけでした。彼らの後には、政治はカリフとその臣下の文官、武官、司法はイスラーム法学者という管掌の分業体制ができあがります。

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