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未唯への手紙

未唯への手紙

ジャンヌ・ダルク、フランスを救う

2015年08月18日 | 1.私
『ナポレオンの直観』より ⇒ パートナーはジャンヌ・ダルクに例えることがしばしば

 私の故郷では、ジャネットと呼ばれていましたが、フランスに来てからは、ジャンヌと呼ばれています。私はドンレミの町に生まれました。私の父は、ジャック・ダルクと呼ばれ、母はイザペルです。

 ジャンヌ・ダルク、または英語名の「ジョーン・オブ・アーク」が、魔術を行使した嫌疑をかけられた一四三一年の異端審問裁判の冒頭陳述は、そのように始まる。裁判所は、彼女に有罪の判決を下し、火あぶりの刑に処した。二五年後の一四五六年、別の裁判によって、彼女の嫌疑は晴らされた。さらに数世紀後を経た一九二〇年、カトリック教会により列聖され聖人となった。ジャンヌ・ダルクは、フランスやその兵士たちの守護神であり、歴史上で最も知られた英雄の一人である。

 それでも、謎は残る。彼女はどのように成功したのだろうか。彼女はわずか一八歳の小作農の娘であったにもかかわらず、一年足らずの間にフランスをイギリスの侵略から救った。彼女はヨーロッパ全土のさまざまな国家間における長い戦争の歴史上でも、最も長い百年戦争の形勢を逆転させたのだ。ヨーロッパの国同士の戦いは、第二次世界大戦の終わる▽几四五年まで続いた。六世紀もの間の幾十もの戦争を経ても、ジャンヌーダルクは、その間に存在した何百人という軍の指揮官の中でも際立っている。

 ジャンヌはどのようにそれを成し遂げたのだろうか。当時はどちらの側でも、それは魔法だと考えられた。彼女の敵方であるイギリスは、それを黒魔術の魔女と呼び、彼女の味方であるフランスでは、それを良き魔法つまり聖なる奇跡と呼んだ。彼女を有罪に処したのはイギリスの裁判所であり、彼女の名誉を回復したのはフランスの裁判所だった。ジャンヌ自身は、神からの声が、彼女が何をなすべきかを伝えたと主張した。つまり、ジャンヌ自身もまたそれを魔法と信じていた。

 それは、ナポレオンのひらめきという魔法だった。振り返ってみれば、過去の例、平常心、「直観」と決断というすべての要素をそこに見ることができる。実際にそれが起きる時、どのように説明してよいのか誰もわからない。幸運とかチャンスとか運と捉える人もいる。中世においては、人々はそれを神のわざと呼んだ。百年戦争に苦闘するフランス人にとっては、神のわざがジャンヌだった。

 これがジャンヌが聞いた神の声の説明である。

  私が一三歳だった時、私の行動を助けてくださるとの神様からの声を聞きました。最初はとても恐れおののきました。私がフランスに来ると、この声をたびたび聞くようになりました。声は神様から伝えられ、三度目の声を聞いた時に、それが天使の声であることがわかりました。この声はいつも私をやさしく守ってくださり、また明確に理解することができました。聖ミカエルが私のところに来られた時、聖カトリーヌと聖マルグリットも私のところに来られるので、その指示に従うようにと言われました。

  陳述を通じて、ジャンヌは神からの声に加えて三人の天使という四つの声について、何度も言及している。なぜ、聖ミカエル、聖カトリーヌと聖マルグリットという三人だったのだろうか。

  中世の油絵や絵画では、鎧に身を包んだ聖ミカエルは、悪魔と戦う様子がよく描かれている。ジャンヌが最初に声を聞いたという一四二五年には、聖ミカエル要塞でイギリスの攻撃を撃退するという百年戦争の中で、フランスが数少ない勝利を収めている。聖カトリーヌと聖マルグリットについては、ジャンヌの地元の教会にある彫像の中にいた。アンティオキアの聖マルグリットは、ジャンヌのように羊の世話をし、アレキサンドリアの聖カトリーヌは高貴な家庭に生まれた。二人とも、ローマの異教徒に服従することを拒否したために、処刑されている。

  つまりジャンヌの天使たちは、偉大なる兵士であり、外国人の支配者の手の内で亡くなった二人の乙女だった。そして、一四二五年聖ミカエルは、自分の名前がつけられた町を救ったことになる。中世の時代においては、聖人の逸話は人々にインスピレーションをもたらすものだった。自分が模倣したい聖人を選んで祈ることによって、その精神が自分の中に宿るようになった。さまざまな聖人が、さまざまなインスピレーションを与えた。ジャンヌは聖ミカエルのように兵士になることを決めた。そのためには、聖カトリーヌと聖マルグリットのように処女でなくてはならない。そうしないと兵士たちが、彼女の指揮に従う代わりに、性の対象とみなすかもしれない。たとえそうでなくても、聖カトリーヌと聖マルグリットのように、外国人の支配者の手に落ちて死ぬという危険も理解していた。

  一四二八年、ジャンヌが一六歳の時、イギリス軍はオルレアンを攻撃した。町はロアール川にかかる主要な橋を守っていた。もしオルレアンが陥落してしまうと、フランスの運命は決まる。

  その声は、私にフランスに行って、オルレアンの包囲を解くように言いました。そして、フランス国王の助けに参じるようにと。その声はまた、私と共に戦う兵士を与えてくれるから、ヴォークルール要塞の守備隊長であるロベール・ボードリクールに会いに行くようにとも告げました。ロペールは二度まで私を拒否してはねつけましたが、三度目に私を受け入れて兵士を与えてくれました。




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