『隷属なき道』より 「負け犬の社会主義者」が忘れていること
進歩を語る言語を取り戻す
悲しいことに、「負け犬の社会主義者」は、左派の物語は希望と進歩の物語であるべきだということを忘れている。誤解しないでほしいが、その物語とは、長々しい学術書を読んで「ポスト資本主義」や「インターセクショナリティ」について思索するのが好きな、少数のヒップスター[知的流行を追う似非インテリ]を悦ばせるためのものではない。学問の世界の左派が犯した最大の罪は、基本姿勢が貴族的になり、単純なことを奇怪な専門用語で書いてことさらわかりにくくしていることだ。もしあなたが自分の理想を、聡明なコー歳の子どもにうまく説明できないのであれば、おそらく原因はあなたの方にある。わたしたちに必要なのは、数百万人もの普通の人々に語り聞かせる物語なのだ。
進歩を語る言語を取り戻すところから始めよう。
改正? もちろん賛成だ。金融部門を徹底的に整備しよう。銀行にはより大きなバッファー(緩衝材)を築かせ、新たな危機が訪れても、すぐには倒れないようにする。だが、必要とあらば、銀行を解体し、「銀行は大きすぎて潰せない」という理由から納税者が再建費用をかぶらされたりしないようにしよう。タックスヘイブンはすべて洗い出して全滅させ、富裕層に税金を公平に負担させる。彼らが雇う会計士には、脱税の手伝いではなく、価値ある仕事をさせ
能力主義? 望むところだ。真の貢献の度合いに応じて、賃金を支払うようにしよう。ゴミ収集作業員、看護師、教師の給料はかなり上がり、相当数のロビイスト、弁護士、銀行家の給料がかなり下がるはずだ。もしあなたが大衆を傷つける仕事がしたいのなら、好きにするといい。だが、その特権には重税が伴うだろう。
革新? 当然だ。現在、膨大な数の才能が無駄になっている。かつてアイビー:リーグの卒業生は科学、公共サービス、教育分野の仕事に就いていたが、現在では、銀行員や弁護士、あるいはグーグルやフェイスブックなど広告料で成りたつ業界を選びがちだ。ここでしばし立ち止まって、よく考えてみよう。数十億ドルもの税金が、最高の頭脳を持つ若者たちの教育に使われている。だがそれによって、彼らが最終的に身につけるのは、他の人々を効率良く利用する方法なのだ。そう考えると、頭がクラクラしてくるはずだ。もしも、わたしたちの世代の最高の頭脳が、現在の最大の難問、例えば、気候変動、高齢化、不平等といったことに取り組むようになれば、状況はどれほど変わるだろう。きっと真の革新がもたらされるはず塔。
効率? それが肝心だ。考えてみよう。ホームレスの人々に投資した金額は、ヘルスケア、警察、裁判にかかる費用が節約される結果、三倍かそれ以上になって戻ってくる。子どもの貧困が撲滅されることを想像してみよう。そうした問題を解決することは、それらの「管理」に多大な費用を投じるより、はるかに効率的だ。
過保護な福祉を削減する? 完全に正しい。働いていない人(実際には失業を引き延ばしている人)のための、無意味で傲慢な再雇用講座は廃止しよう。また、福祉の受益者にみじめな暮らしを強いるのをやめよう。誰もにベーシックインカム--人々のためのベンチャーキャピタルーを給付し、自分の人生の方針を立てられるようにしよう。
自由? 謳歌しようではないか。先に述べた通り、労働人口の三分の一以上は、その人自身無意味だと思う「くだらない仕事」を押しつけられている。つい先頃、わたしは数百人のコンサルタントを聴衆とする講演会で、無意味な仕事が増えていることについて語った。驚いたことに、それを非難する声はあがらなかった。のみならず、その後の酒の席で二人以上から、「儲けは多いがくだらない仕事のおかげで、儲けは少ないが価値のある仕事をすることができるのです」と打ち明けられた。
その話を聞いて思い出したのは、フリーのジャーナリストが、批判的な調査記事を書くために、自分が軽蔑している企業の宣伝記事を書いて、資金稼ぎをしていることだ(批判的な調査記事というのは、同種の企業を対象とするものだ)。これでは本末転倒ではないか? どうやら現代の資本主義では、わたしたちはくだらないとわかっているものに投資しているらしい。
今こそ、「仕事」という概念を再定義すべき時だ。わたしは一週間の労働時間を短縮しようと呼びかけているが、長く退屈な週末を過ごせと言っているわけではない。自分にとって本当に重要なことにもっと多くの時間を費やそうと、呼びかけているのだ。数年前、オーストラリアの作家ブロニー・ウェアは『死ぬ瞬間の五つの後悔』(新潮社、二〇一二年)という本を出版し、看護師として世話をした患者たちの最後の日々について語っが。何か書かれているだろう? 仕事仲間のパワーポイントのプレゼンにもっと注意を払っていればよかった、とか、ネットワーク社会での画期的な共同創作についてもう少しブレインストーミングをしておけばよかった、などと言う人は一人もいなかった。最大の後悔は、「他人がわたしに期待する人生ではなく、自分のための人生を生きればよかった」というもの。二番目は、「あんなに働かなければよかった」である。
左派から右派まで、もっと多くの仕事を、と要求している。ほとんどの政治家と経済学者は、仕事に良いも悪いもなく、それは多ければ多いほどよいと考えている。今こそ、新たな労働運動を始めるべき時だとわたしは考える。それは、より多くの仕事やより高い賃金を求めるだけでなく、さらに重要なこととして、本質的に価値のある仕事を求める戦いだ。
そうすればわかるはずだ。わたしたちが退屈で無意味でくだらない仕事に多くの時間を費やすうちは、失業率は上昇するが、満足できることに多くの時間を投資し始めると、失業率は下がるということが。
アイデアを行動に移す際の二つのアドバイス
だが、まず初めに、「負け犬の社会主義者」は、自分は道徳的に優れているという思い込みと時代遅れの思想を捨てなければならない。自分は進歩的だと自負する人は皆、エネルギーだけでなくアイデアの源となるべきだ。そして、憤りを発するだけでなく、希望の光を放ち、倫理と強い理想を併せ持たなければならない。結局、「負け犬の社会主義者」に欠けているのは政治を変えるための最も重大な成分、すなわち、もっと良い方法が本当に存在する、ユートピアは確かに手の届くところにある、という確信なのだ。
わたしは、「大文字の政治」をマスターすれば、簡単に理想の社会を実現できると言うつもりはない。全くその逆だ。そもそも、このアイデアを世間に真剣に受け止めてもらうことからして非常に難しいのだ。わたし自身、それを痛感した。この三年間、ユニバーサル・ベーシックインカム、労働時間の短縮、貧困の撲滅について訴えてきたが、幾度となく、非現実的だ、負担が大きすぎると批判され、あるいは露骨に無視された。
少々時間がかかったが、その「非現実的だ」という批判が、わたしの理論の欠陥とはほぼ無関係であることに気づいた。「非現実的」というのはつまり、「現状を変えるつもりはない」という気持ちを手短に表現しただけなのだ。人を黙らせる最も効果的な方法は、相手に自分は愚かだと思わせることだ。そうすれぱほぽ確実に口をつぐむので、検閲より効果がある。
わたしがベーシックインカムについて書き始めたとき、それについて聞いたことがある人はほとんどいなかった。しかし、わずか三年後の現在、ベーシックインカムのアイデアは至るところに広まっている。
フィンランドとカナダでは、大規模な実験が行われている。シリコンバレーでは、広く認められつつある。ギヴ・ディレクトリ(第二章で述べた組織)はケニアでベーシックインカムの大規模な研究を始めた。そしてわたしの国オランダでも、二〇を超える自治体が、その実施に踏み切った。
突然このように関心が高まったのは、二〇一六年六月五日にスイスで行われた国民投票がきっかけだった。五年前には、ベーシックインカムがどのようなものかを知っているスイス人は、二、三〇〇人程度だったはずだが、今の状況はまったく違う。当然ながらその提案は反対大多数で否決されたが、忘れてならないのは一九五九年というそれほど遠くない昔に、スイスの男性の過半数が、ある奇抜な提案を、同じく反対大多数で否決したことだ。それは女性の選挙権を認めるという提案だった。一九七一年に二度目の国民投票が行われ、その時はほとんどの人が賛成した。
重要な点はここだ。スイスの国民投票によってベーシックインカムの議論は終わったのではなく、始まったのだ。本書のオランダ版が初めて出版されてから、わたしはパリ、モントリオール、ニューヨーーク、ダブリン、ロンドンでペーシックインカムについて語ってきた。どこででも、熱烈にそれを支持する人々に出会った。彼らがベーシックインカムを支持するのは、同じ理由からだ。二〇〇八年の世界金融危機と、イギリスのEU離脱とトランプという新時代が幕を開けて以来、ますます多くの人が、ゼノフォビア(外国人嫌悪)と不平等に対する革新的な、本物の解毒剤を渇望するようになった。全く新しい世界の地図、新しい希望の源、つまり新しいユートピアが待ち望まれているのだ。
最後になったが、本書が提案したアイデアを行動に移す用意ができている全ての人に、二つのアドバイスをしたい。まず、世の中にはあなたのような人がたくさんいることを知ろう。それも大勢いるのだ。本書のアイデアを信じるようになってから、この世界が堕落した欲深い場所に見えるようになったと、無数の読者がわたしに語った。彼らに対するわたしの答えはこうだ。テレビを消して、自分の周りをよく見て、人々と連携しよう。ほとんどの人は、優しい心をもっているはずなのだ。
そして二つめのアドバイスは、図太くなることだ。人が語る常識に流されてはいけない。世界を変えたいのであれば、わたしたちは非現実的で、無分別で、とんでもない存在になる必要がある。思い出そう。かつて、奴隷制度の廃止、女性の選挙権、同性婚の容認を求めた人々が狂人と見なされたことを。だがそれは、彼らが正しかったことを歴史が証明するまでの話だった。
進歩を語る言語を取り戻す
悲しいことに、「負け犬の社会主義者」は、左派の物語は希望と進歩の物語であるべきだということを忘れている。誤解しないでほしいが、その物語とは、長々しい学術書を読んで「ポスト資本主義」や「インターセクショナリティ」について思索するのが好きな、少数のヒップスター[知的流行を追う似非インテリ]を悦ばせるためのものではない。学問の世界の左派が犯した最大の罪は、基本姿勢が貴族的になり、単純なことを奇怪な専門用語で書いてことさらわかりにくくしていることだ。もしあなたが自分の理想を、聡明なコー歳の子どもにうまく説明できないのであれば、おそらく原因はあなたの方にある。わたしたちに必要なのは、数百万人もの普通の人々に語り聞かせる物語なのだ。
進歩を語る言語を取り戻すところから始めよう。
改正? もちろん賛成だ。金融部門を徹底的に整備しよう。銀行にはより大きなバッファー(緩衝材)を築かせ、新たな危機が訪れても、すぐには倒れないようにする。だが、必要とあらば、銀行を解体し、「銀行は大きすぎて潰せない」という理由から納税者が再建費用をかぶらされたりしないようにしよう。タックスヘイブンはすべて洗い出して全滅させ、富裕層に税金を公平に負担させる。彼らが雇う会計士には、脱税の手伝いではなく、価値ある仕事をさせ
能力主義? 望むところだ。真の貢献の度合いに応じて、賃金を支払うようにしよう。ゴミ収集作業員、看護師、教師の給料はかなり上がり、相当数のロビイスト、弁護士、銀行家の給料がかなり下がるはずだ。もしあなたが大衆を傷つける仕事がしたいのなら、好きにするといい。だが、その特権には重税が伴うだろう。
革新? 当然だ。現在、膨大な数の才能が無駄になっている。かつてアイビー:リーグの卒業生は科学、公共サービス、教育分野の仕事に就いていたが、現在では、銀行員や弁護士、あるいはグーグルやフェイスブックなど広告料で成りたつ業界を選びがちだ。ここでしばし立ち止まって、よく考えてみよう。数十億ドルもの税金が、最高の頭脳を持つ若者たちの教育に使われている。だがそれによって、彼らが最終的に身につけるのは、他の人々を効率良く利用する方法なのだ。そう考えると、頭がクラクラしてくるはずだ。もしも、わたしたちの世代の最高の頭脳が、現在の最大の難問、例えば、気候変動、高齢化、不平等といったことに取り組むようになれば、状況はどれほど変わるだろう。きっと真の革新がもたらされるはず塔。
効率? それが肝心だ。考えてみよう。ホームレスの人々に投資した金額は、ヘルスケア、警察、裁判にかかる費用が節約される結果、三倍かそれ以上になって戻ってくる。子どもの貧困が撲滅されることを想像してみよう。そうした問題を解決することは、それらの「管理」に多大な費用を投じるより、はるかに効率的だ。
過保護な福祉を削減する? 完全に正しい。働いていない人(実際には失業を引き延ばしている人)のための、無意味で傲慢な再雇用講座は廃止しよう。また、福祉の受益者にみじめな暮らしを強いるのをやめよう。誰もにベーシックインカム--人々のためのベンチャーキャピタルーを給付し、自分の人生の方針を立てられるようにしよう。
自由? 謳歌しようではないか。先に述べた通り、労働人口の三分の一以上は、その人自身無意味だと思う「くだらない仕事」を押しつけられている。つい先頃、わたしは数百人のコンサルタントを聴衆とする講演会で、無意味な仕事が増えていることについて語った。驚いたことに、それを非難する声はあがらなかった。のみならず、その後の酒の席で二人以上から、「儲けは多いがくだらない仕事のおかげで、儲けは少ないが価値のある仕事をすることができるのです」と打ち明けられた。
その話を聞いて思い出したのは、フリーのジャーナリストが、批判的な調査記事を書くために、自分が軽蔑している企業の宣伝記事を書いて、資金稼ぎをしていることだ(批判的な調査記事というのは、同種の企業を対象とするものだ)。これでは本末転倒ではないか? どうやら現代の資本主義では、わたしたちはくだらないとわかっているものに投資しているらしい。
今こそ、「仕事」という概念を再定義すべき時だ。わたしは一週間の労働時間を短縮しようと呼びかけているが、長く退屈な週末を過ごせと言っているわけではない。自分にとって本当に重要なことにもっと多くの時間を費やそうと、呼びかけているのだ。数年前、オーストラリアの作家ブロニー・ウェアは『死ぬ瞬間の五つの後悔』(新潮社、二〇一二年)という本を出版し、看護師として世話をした患者たちの最後の日々について語っが。何か書かれているだろう? 仕事仲間のパワーポイントのプレゼンにもっと注意を払っていればよかった、とか、ネットワーク社会での画期的な共同創作についてもう少しブレインストーミングをしておけばよかった、などと言う人は一人もいなかった。最大の後悔は、「他人がわたしに期待する人生ではなく、自分のための人生を生きればよかった」というもの。二番目は、「あんなに働かなければよかった」である。
左派から右派まで、もっと多くの仕事を、と要求している。ほとんどの政治家と経済学者は、仕事に良いも悪いもなく、それは多ければ多いほどよいと考えている。今こそ、新たな労働運動を始めるべき時だとわたしは考える。それは、より多くの仕事やより高い賃金を求めるだけでなく、さらに重要なこととして、本質的に価値のある仕事を求める戦いだ。
そうすればわかるはずだ。わたしたちが退屈で無意味でくだらない仕事に多くの時間を費やすうちは、失業率は上昇するが、満足できることに多くの時間を投資し始めると、失業率は下がるということが。
アイデアを行動に移す際の二つのアドバイス
だが、まず初めに、「負け犬の社会主義者」は、自分は道徳的に優れているという思い込みと時代遅れの思想を捨てなければならない。自分は進歩的だと自負する人は皆、エネルギーだけでなくアイデアの源となるべきだ。そして、憤りを発するだけでなく、希望の光を放ち、倫理と強い理想を併せ持たなければならない。結局、「負け犬の社会主義者」に欠けているのは政治を変えるための最も重大な成分、すなわち、もっと良い方法が本当に存在する、ユートピアは確かに手の届くところにある、という確信なのだ。
わたしは、「大文字の政治」をマスターすれば、簡単に理想の社会を実現できると言うつもりはない。全くその逆だ。そもそも、このアイデアを世間に真剣に受け止めてもらうことからして非常に難しいのだ。わたし自身、それを痛感した。この三年間、ユニバーサル・ベーシックインカム、労働時間の短縮、貧困の撲滅について訴えてきたが、幾度となく、非現実的だ、負担が大きすぎると批判され、あるいは露骨に無視された。
少々時間がかかったが、その「非現実的だ」という批判が、わたしの理論の欠陥とはほぼ無関係であることに気づいた。「非現実的」というのはつまり、「現状を変えるつもりはない」という気持ちを手短に表現しただけなのだ。人を黙らせる最も効果的な方法は、相手に自分は愚かだと思わせることだ。そうすれぱほぽ確実に口をつぐむので、検閲より効果がある。
わたしがベーシックインカムについて書き始めたとき、それについて聞いたことがある人はほとんどいなかった。しかし、わずか三年後の現在、ベーシックインカムのアイデアは至るところに広まっている。
フィンランドとカナダでは、大規模な実験が行われている。シリコンバレーでは、広く認められつつある。ギヴ・ディレクトリ(第二章で述べた組織)はケニアでベーシックインカムの大規模な研究を始めた。そしてわたしの国オランダでも、二〇を超える自治体が、その実施に踏み切った。
突然このように関心が高まったのは、二〇一六年六月五日にスイスで行われた国民投票がきっかけだった。五年前には、ベーシックインカムがどのようなものかを知っているスイス人は、二、三〇〇人程度だったはずだが、今の状況はまったく違う。当然ながらその提案は反対大多数で否決されたが、忘れてならないのは一九五九年というそれほど遠くない昔に、スイスの男性の過半数が、ある奇抜な提案を、同じく反対大多数で否決したことだ。それは女性の選挙権を認めるという提案だった。一九七一年に二度目の国民投票が行われ、その時はほとんどの人が賛成した。
重要な点はここだ。スイスの国民投票によってベーシックインカムの議論は終わったのではなく、始まったのだ。本書のオランダ版が初めて出版されてから、わたしはパリ、モントリオール、ニューヨーーク、ダブリン、ロンドンでペーシックインカムについて語ってきた。どこででも、熱烈にそれを支持する人々に出会った。彼らがベーシックインカムを支持するのは、同じ理由からだ。二〇〇八年の世界金融危機と、イギリスのEU離脱とトランプという新時代が幕を開けて以来、ますます多くの人が、ゼノフォビア(外国人嫌悪)と不平等に対する革新的な、本物の解毒剤を渇望するようになった。全く新しい世界の地図、新しい希望の源、つまり新しいユートピアが待ち望まれているのだ。
最後になったが、本書が提案したアイデアを行動に移す用意ができている全ての人に、二つのアドバイスをしたい。まず、世の中にはあなたのような人がたくさんいることを知ろう。それも大勢いるのだ。本書のアイデアを信じるようになってから、この世界が堕落した欲深い場所に見えるようになったと、無数の読者がわたしに語った。彼らに対するわたしの答えはこうだ。テレビを消して、自分の周りをよく見て、人々と連携しよう。ほとんどの人は、優しい心をもっているはずなのだ。
そして二つめのアドバイスは、図太くなることだ。人が語る常識に流されてはいけない。世界を変えたいのであれば、わたしたちは非現実的で、無分別で、とんでもない存在になる必要がある。思い出そう。かつて、奴隷制度の廃止、女性の選挙権、同性婚の容認を求めた人々が狂人と見なされたことを。だがそれは、彼らが正しかったことを歴史が証明するまでの話だった。
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