goo

大国インドの脆弱さ

『インド洋圏が、世界を動かす』より インドの地政学的な戦略

パキスタンに対する後方基地が必要になったため、インド軍は「親西洋で非タリバーンのアフガニスタン」の存在が欠かせないと考えた。カプール将軍は、インドの立場から言えば、アメリカがイラクよりもアフガニスタンに長期間コミットメントを続けてくれるほうが重要だ、と述べている。別の会合ではインドの国家安全保障アドバイザー、M・K・ナラヤナン氏が、「インドにとって、アフガニスタンのカルザイ政権の存続は決定的に重要です」と答えている。

アフガニスタンでの戦争は、インドにとってもアメリカと同じくらいの重要性をもつ戦いだった。たしかなのは、パキスタンとインドが何十年にもわたり間接的に争ってきた場所が、アフガニスタンであるという事実だ。パキスタンにとってアフガニスタンは、旧ソ連における中央アジアのイスラム諸国に匹敵するほど、戦略的に決定的な意味をもつ土地だ。アフガニスタンは、ヒンドゥー教徒が支配的なインドに対してイスラム教徒同士が統一的な宗教戦線を張る場所になるとともに、インドがエネルギー資源の豊富な地域ヘアクセスするのを防ぐ場所になる可能性も持っていた。一方、インドにとって、アフガニスタンが友好的になってくれれば、パキスタン西部の国境地帯にプレッシャーを与える--インドが自国東部の国境からパキスタンにプレッシャーを与えているように--ことができるようになり、パキスタンに一種の戦略的敗北状態を与えることができるのだ。

インドは一九八〇年代、アフガニスタンの首都カブールにおけるモハンマド・ナジブラ率いる親ソ政権を支持し、逆にパキスタンはイスラム系の反乱者たちを支持してナジブラを政権から引きずり落とそうとしていた。当時のアメリカはパキスタンと同盟関係にあったため、パキスタンのISIを通じてイスラム系の反乱軍を助けたのだ。そのためISIのメンバーの多くは、後にタリバーンやアルカイダと協力するようになったのである。ところが一九九一年にソ連が崩壊し、そのI〇年後に九・一一事件が起こった。つまりアメリカにとって世界の情勢は変わったのだ。しかしインドとパキスタン両国にとってのアフガニスタンの重要性は変わっていない。インドは比較的非宗教的なアフガニスタン政府をまだ支持する必要があり、パキスタンもアフガニスタン政府の転覆を狙うイスラム系の反乱者たちを支持する必要があると考えている。したがってアメリカが抱えた利害関係は、イスラム系の反乱者と戦った一世代前のソ連とほぼ同じ状態になってきたのだ。

カプール将軍は、パキスタン以外にも、インド内でイスラム教徒が多数派を占める唯一の州であるジャンムー・カシミール州の問題を懸念している。ここで紛争や爆破事件が重なれば、インド中の多数の人種・言語・宗教が人り交じった地域における「独立運動の連鎖反応」へとつながる恐れがあるから蔓ネパールにも毛沢東主義に触発された政情不安がある。同国の人口の半分はインド国境付近に住んでいるが、インドの安全保障機関の政府高官たちの目からみれば、彼らはISIと中国の双方からしだいに影響を受けつつある。もちろんそのような見解は過大評価かもしれないが、こうした主張がなされること自体が、彼らの懸念やこの地域の不安定さを率直に物語っている。とくに毛沢東主義者たちがネパールで権力を固めたことは、「ナクサライト」と呼ばれるインドの毛沢東主義ゲリラたちによる同国中央部や東部でのテロ攻撃を促すことにもなりかねないからだ。

インドの陸の国境についての懸念は妥当なものだが、そのほかにもインド軍の高官たちは多くのことを心配していた。彼らはモルディブ諸島におけるイスラム教スンニ派の原理主義者の台頭についても触れていた。また、インド最北東部ではインド系住民に対する反乱グループが、ミャンマー内部―これには中国がかなり絡んでいるがlからの指示を受けて活動しており、バングラデシュからは一〇〇〇万人から一五〇〇万人の不法移民が流入している。さらにインド南東部沿岸の沖合にあるスリランカでの内戦は、二〇〇九年に終わったばかりだ。ある陸軍将校は、「われわれにはアメリカ式の即応軍をつくる余裕はありません。未解決の国境問題が存在するため、かなりの数の兵士をその土地に常駐させておく必要があるからです」と教えてくれた。

ところがそこから議論のテーマは軽くなり、インド政府高官たちは将来インドをトルクメニスタンのような中央アジア--自分たちが囲い込まれる恐れがあるため、インドはこの地域を中国とパキスタンに渡すつもりはまったくないのだが--の国々につなぐことになる、エネルギー関連のパイプラインについて語り始めた。こうした動向は、最近インドがタジキスタン内に軍事基地を完成させたことからもよくわかる。その後、われわれはインドの安全保障におけるペルシャ湾や東南アジアの重要性についても意見を交わした。

これまでの会談での議論をまとめてみると、インドは力を遠くまで誇示しようとしているにもかかわらず、すぐそばに弱さを抱えていることがわかる。あるインド政府の高官は、「パキスタン、アフガニスタン、ミャンマー、スリランカなど、まわりは混乱した国ばかりです……インドは民主制国家であるため、ミャンマーやチベットなどの問題に強い態度であたっていくことを期待されていますが、われわれはこれらの国々と地続きでつながっているため、政治的に真空状態が生まれるのを許すわけにはいかないのです」と言っていた。私が訪問した当時のインド外相シブシャンカ・ルーメノン氏は、「インドは、二つの大きな海で守られたアメリカのように、倫理道徳面で白黒はっきりさせた決断を公式声明などのかたちで宣言できるような立場にはありません」と述べている。別の高官は、「われわれにとって最悪のシナリオは、ミャンマーで一八ある民族すべてが同時に反乱を起こして大混乱に陥ることです」と語っていた。つまりインド南部は海のおかげで守りは最も固いのだが、北、東、西の方向は最も脆弱なのだ。

「インドには一億五五〇〇万人のイスラム教徒がいます。われわれが本当に懸念しているのはイスラム原理主義なのです。彼らが制御不能になるのを防ぐにはどうすればいいのでしょうか?」と政府関係者の一人は問いかけてきた。「アルカイダの本当の危険性はその組織そのものではなくて、その思想のほうにあるのです」。彼らのなかには、政情不安が普通の状態になってしまうことへの深刻な恐怖があった。「われわれの平穏さや平和な状態は危機に直面しています」。たしかにアメリカ国務省の調査によれば、イラク侵攻後にインドのテロ事件は、年毎の発生割合では最多になっている。ナラヤナン氏は二〇〇六年七月にムンバイで起こった列車爆破事件にも触れた。この事件では七回の爆発で二〇〇人以上が死亡し、七〇〇人ほどが負傷していて、「幾つかの地方で同時に計画されたもの」だという。ところがこの地域の当局のなかでは、「適切な情報の共有ができていなかった」。世界の幾つかの国々と同じようにテロの危険を抱えるインドは、イスラム系の過激主義--その拠点はインドの裏庭であるアフガニスタン=パキスタンの辺境--と戦うという意味では、アメリカと自然に協調できる立場にある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 第8章 実現方... インドネシア... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。