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未唯への手紙

未唯への手紙

ハイデガーとハンナ・アーレント

2015年04月27日 | 2.数学
『90分でわかるハイデガー』より ハイデガー--生涯と作品 中野さんとの歳の差と全く同じ

一九二四年のことであゐ。ハイデガーは、一人の魅力的なユダヤ系の若い女子学生が自分の講義に出席しているのに気づく。その後、学生の議論を耳にしていくうちに、見かけの未熟さとは異なり、傑出した哲学の才能があることがわかる。学生の名は、ハンナ・アーレント。東プロシアのケーニヒスべルクの出身であった。数週間のうちに濃密な哲学的議論が別の道に進み、哲学と同じように曖昧で多くの問題をはらむ感情的世界に迷い込む。

二人が愛人になったとき、ハンナ・アーレントはわずか一八歳、ハイデガーは三五歳であった。ハイデガーの手紙の文面からすると、彼が人生ではじめて激しい感情を経験したことはまちがいない。肉体的にも精神的にも感情的にも、あらゆる面で激しい感情がハイデガーを襲った。これは強力な啓示となる。それまでは、感情を抑え込んできた若き大学教授ハイデガーは農民風のジャケットをまといながら、自分は「生来控えめで感情を表に出さず、無骨である」といっていた。それが今や、自宅で妻と二人の育ち盛りの息子に囲まれているにもかかわらず、「私は孤独な生活を送っている」と同僚に宣言するようになる。

ハンナとハイデガーの妻エルフリーデは形のうえではどちらもプロシアの出身である。とはいえ、これほど異なった人間はいない。ハンナは偏見にとらわれないユダヤ系の家系で育っている。両親のどちらもが進歩的で、ドイツの市民的な生活に同化している。エルフリーデのほうの家系は、軍国主義的で保守的なユンカー階級、軍人を多く輩出するユンカー階級である。人種差別主義とドイツ至上主義の幻想、「理想」という仮面をかぶったあぶない幻想が渦巻く階級。そこでエルフリーデは育っている。

ハンナと出会うことで、ハイデガーが自分のなかにまったく新しい存在の領域を発見したことは疑い得ない。この発見が、存在がどういうものでどのような意味をもつかについてのハイデガーの理解に影響を与えたこともまちがいない。が、直接には、存在の哲学のなかには入り込んでいない。間接的な形でハイデガーの構想に影響を与えたと想定できるにすぎない。それでも、感情をいつわることはできない。固いが砕けやすいカラが破れ、満たされない愛というネバネバした感情の黄身があらわになる。ハンナはハイデガーのすべて、ハイデガーの女神になる。このときハイデガーは、独創的なアイデアを余すことなく繰り広げる偉大な著作を執筆していたが、ハンナとの議論は自分の哲学の核心を強く鼓舞するものになる。

ハンナのほうも、自分のほぼ二倍の年齢のハイデガーを心から尊敬するとともに、カリスマ性をもつ師への抗いがたい愛の感情に圧倒される(ここで「ハンナ」と「ハイデガー」と記しているが、これは別に男と女の古いあり方に固執しているわけではない。二人の現実の関係を暗示したいにすぎない)。

それにしても、これは普通の情事ではあり得ない。マールブルクは名目上は都市ということになっているものの、実際には小さな田舎町にすぎない。人口も二万人に満たない。大学が休みに入ると、町は閉ざされたも同然。誰もが誰もを監視する田舎町になる。しかも、大学はきわめて保守的な雰囲気をもち、きわめて保守的な道徳的規範が支配しているところである。もちろん、これはマールブルクに限ったことではない。自らの社会的地位を頑なに守ろうとするドイツの大学全体の伝統にほかならない。だから、若い女子大生と不倫の関係に陥るということは、ハイデガーにとってマールブルクの職を危険にさらすだけではない。大学教員としてのキャリア全体を危険にさらすことになる。このような危険を冒しそうになったのは、ハイデガーの人生でこのときだけだった。

ハイデガーとハンナは細心の注意を払いながら秘密裡に逢い引きを行わなければならなかった。ハンナの屋根裏部屋で密会を行う前には、ハイデガーはハンナに複雑な指示を書き連ねた手紙を毎回送っていた。おそらくは、いつもの南ドイツの民族衣装のうえに、忌み嫌っていたはずの都会風のレインコートをまとうことすらしていただろう。妻のエルフリーデのほうはハイデガーの授業に出席している女子大生全員を不快に思っていた。ハンナのことを疑っていたとしても、ほかの女子大生よりもわずかに強く疑っていたにすぎない。いずれにしても、情事が発覚することはなかった。危ない場面が何度かあったにすぎない。

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